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2024年度 海外遊学が終了!

2024年 海外遊学マップ

ゴトー養殖研究所のユニークな入社前研修「海外遊学」。

2024年度は1名の新入社員が、自ら企画したヨーロッパ遊学の旅に出発し、多くの経験を得て無事に帰国しました。

4月5日~5月7日に行われたIさんの海外遊学レポートをお楽しみください。

  • 海外遊学の期間:2024年4月5日~5月7日
  • 遊学先:ヨーロッパ8か国
    スペイン(バルセロナ、マドリード、セビリア、マラガ)
    フランス(パリ、レンヌ)
    スイス(ジュネーブ)
    イタリア(ミラノ)
    オーストリア(ウィーン、ザルツブルグ)
    ドイツ(ミュンヘン、ベルリン)
    デンマーク(コペンハーゲン)
    ノルウェー(オスロ、ベルゲン)

Iさんの海外遊学レポート

2024年4月5日(金)
バルセロナ

15時頃にバルセロナ空港に到着しました。
空港到着後はバスでPl.Espanyaまで行き、3日間のバス、地下鉄乗り放題のチケットを購入して地下鉄でホテルに向かいました。

ホテルへの到着が17時頃と想定より遅くなったこともあり、美術館巡りの予定を変更してFCバルセロナのホームスタジアム、カンプノウへ行き、資料館に入りました。スタジアム自体は改装中で見学出来ませんでしたが、資料館だけでも多くの人が訪れておりサッカーが密接している地域であることを実感できました。また、資料館では過去のトロフィーが飾ってありましたが、1フロアでは納まらない程の量でFCバルセロナの歴史に感動しました。写真は建設中のカンプノウですが、撮り慣れておらず感動が伝わらない写真になっており残念です。海外遊学では撮影技術も上達できればと思います。

今日の晩御飯はホテルの近くのバルにしました。ホテル周囲にはパン屋とバルが多くあり、ほとんどが店前の歩道等にテーブルを設置していました。また、20時頃まで日が沈まないからか、バルのテラスでお酒を飲みながら子供を広場で遊ばせており新鮮な光景でしたし、日本で感じたことのない時間のゆとりのようなものを感じました。写真の晩御飯はバルセロナの地ビールMORITZ、アーモンド素揚げ、何かの生地を揚げたシートと柑橘系の風味が効いたサーモンの燻製です。ご飯はどれも非常に美味しく、今後も楽しみです!

明日は朝からサクラダファミリアなど有名どころを観光してきます。

2024年4月6日(土)
バルセロナ(2日目)
(バルセロナ凱旋門、ピカソ博物館、サンタ・マリア・ダル・マル教会、水族館、ブケリア市場)

サクラダファミリア観光を予定していましたが、いざ行ってみるとアプリでしかチケットは購入できないことが発覚し、Wi-Fiが使えるコーヒーショップを教えてもらい、そこでチケット取得を試みるもこの3日間くらいは全て予約がいっぱいな状況でした。スペイン最終日の4月11日になんとか予約できたので、この日にサクラダファミリアを観光します。

これにより予定を変更して冒頭の()内を観光することにしました。一部を紹介します。

凱旋門は争いごとに勝利した指揮官などの凱旋を祝う式典の場として設けられているそうです。バルセロナ凱旋門は、バルセロナ万博の際に建てられたそうで本来の凱旋を祝う意味は無いそうです。しかし、建設は1888年で歴史もあり、なかなか迫力がありました。後日予定しているパリの凱旋門とも見比べてみたいと思います。

ピカソ博物館では生まれ育った街としてその作品が多く展示されており、若い頃は被写体をそのまま捉えたような作品が多いものの次第に有名なゲルニカのようなニュアンスの作品が増えており、年齢を重ねて様々な試行錯誤があった上での作品であることが窺い知れました。

バルセロナ水族館では地中海の魚が主に展示されていましたが、普段日本で見る魚とかなり似ている一方で少しだけ顔が違う点に面白さを感じました。

ブケリア市場では日本であまり食べることが出来ない子牛のサガリステーキを食べました。”さし”を入れることに注力してきた日本と異なり、子牛であること、サガリを使用すること、焼き加減をレアにすることで柔らかさを表現していることが分かり日本との文化の違いを味わうことが出来ました。

最後に徒歩での移動中に生まれて初めて鳥にフンを肩に落とされました。反射的に手で拭ってしまいましたが、意外と匂いもせず気にならなかったので”うん”が良いと捉え前向きに観光出来ました。

予定変更が続きますが、明日はカタルーニャ美術館、ムンジュイック城を見てきます。

2024年4月7日(日)
バルセロナ(3日目)
(カタルーニャ美術館、ムンジュイック城、カサ・ミラ)

カタルーニャ美術館はロマネスク様式では世界最大の展示数となる教会の壁画やバロック様式の絵画が展示されていました。何よりも驚いたのはその広さでした。展示品は歩いても歩いても出ててきて迷子になるかと思いました。
ムンジュイック城ではゴンドラに乗って城まで行きました。サクラダファミリアを含む街並みを一望でき、反対側は海に面しておりバルセロナをこの1ヶ所で表現できているような素晴らしい景色でした。

今日は日曜日で紹介した2箇所は入場料無料と予想外のラッキーがありましたが、逆に人がとても多く、グエル公園は予約でいっぱいになってしまい、観光出来ませんでした。
代わりにカサ・ミラを観光してきましたが、ガウディの作品であるサクラダファミリアやグエル公園の設計に関する説明もありガウディの作品という視点から包括的に知ることが出来る場所でした。結果としてサクラダファミリアを見る前にこちらで事前に勉強ができたので、とても良い順番になりました。

明日からはバルセロナを離れ、早朝からマドリードに向かいます。


ムンジュイック城から見たバルセロナ市内(旗のすぐ右隣がサクラダファミリア)


噴水越しのカタルーニャ美術館


ムンジュイック城の外観


カサ・ミラの中庭から見上げた景色

2024年4月8日(月)
マドリード

今日はバルセロナからマドリードへ移動しました。初めての新幹線で緊張しましたが、Wi-Fiも使うことができとても快適でした。ただ、日本と異なり飛行機の搭乗時のように荷物をセキュリティに通さないといけないことに驚きました。

今日始めに観光したのはソフィア王妃芸術センターですが、これまでの反省を生かし事前にwebチケットを購入しておきました。チケット購入待ちに出来る長蛇の列(という程でもないですが、、)を横目に小慣れた感じで入り口を通過することができました。作品に関しては芸術に疎い私でも知っているピカソのゲルニカを見ることが出来ました。また、作品自体はテレビ放送などでもよく見たことがあるかと思いますが、製作過程まで紹介されており、現地ならではのとても貴重な機会になりました。


エントランスと書いてありましたが、どうやら裏口だったソフィア王妃芸術センターの入場口

プラド美術館はスペインを代表する美術館ですが、そう言われるのも納得の内容でした。とにかく展示数が多いことに感服します。周りよりも速いペースで鑑賞していましたが、1階だけで2.5時間くらいかかりました。美術館巡りはなかなかの体力勝負ですね。また、周りの人は一緒に見ている人達と一つ一つの絵について語りながら鑑賞していました。たとえば、”七つの大罪”といえば真っ先に漫画を連想してしまう私ですが、宗教上の知識からと想像しますが他国の方々は”これってこうだよね?”のようなニュアンスで話しています。日本人であり宗教的な知識がほとんどない自分が世界的にみて如何に少数派なのか実感しました。観光で来ている周りの人たちも含めて異文化を体感したプラド美術館でした。


プラド美術館の1番目につく外観(入場口ではない)


ピカソさんっていろいろな作風にチャレンジしたのですねと思い、印象に残ったピカソの作品

ちなみに料理の写真は妻の勧めで食べてみた豚耳の炒め物です。地元のビールが美味しいのと相まってとんでもなく美味しかったです。

明日は地中海側のセビリアに向かいます!

2024年4月9日(火)
セビリア
(アルカサル、セビリア大聖堂、フラメンコ)

アルカサルは入場までに2時間近く並ぶことになりました。列の前後にいたアジアの方(1人はスペイン在住)もこんなに並ぶとは知らなかったとのことですが、このスペイン在住の方に聞くと最近はヨーロッパではどこの観光施設もwebでの事前予約が一般的だそうです。コロナ明けのオーバーツーリズムはヨーロッパでも課題みたいです。おしゃべり好きな方々と話をしていれば2時間待ちもそこまで苦ではありませんでしたが、英語が得意でない私は話しを少しでも理解しようととても疲れました。さて、本題のアルカサルはスペイン王宮の宮殿の一つだそうです。タイル張りの床や壁が多く、タペストリーを多く飾っている部屋があり、テレビ等で培った宮殿イメージとは大きく異なり楽しめました。おそらく海外の人が日本に来ると、本州の神社と沖縄の首里城を見て”全然違うね!”と思うかと思いますが、それに近い感覚をなのではないかと想像しています。


床と壁がタイル素材の宮殿内

セビリア大聖堂はゴシック様式では世界最大の大聖堂だそうです。その大きさにも驚くところですが、中の展示物もどこかバルセロナと異なり、アルカサルの雰囲気を感じるような物が多く、同じ国でも歴史の違いを感じました。また、馬車での観光案内は稀に日本でもみますが、驚くべきことに警察官も馬に乗っていました。車で逃げる犯罪者を逮捕できるのか心配になりました。


セビリア大聖堂

夜にはフラメンコを見てきました。フラメンコは十数人〜数十人程度の小規模な場所が点在するイメージでお店があります。小規模な会場のためとても近くで見ることができ迫力がありました。19:30スタートなど夜に開演するのでご飯を食べながら鑑賞するものだと思っていたのですが、ステージを囲んで椅子が並べられて鑑賞に集中するスタイルでした。フラメンコといえば女性をイメージしていたのですが、特に男性のダンスがパワフルでかっこよかったです。


フラメンコの雰囲気(開演中は撮影禁止でしたので開演前の写真です)

地中海側はマドリードとは大きく雰囲気が異なり、日本で言うなら沖縄、南国なイメージです。宿泊した安いホステルでも最上階にプールがあり、周りはお酒を飲みながら談笑しています。私はのんびりこの日報を書いています。それから、ここにきて気づいたのですが、地域によって人気のお酒があるようです(日本のとりあえずビールみたいな感じ)。セビリアはサングリアを飲んでいる方を見かけます。また、暑くて酔ってしまうのでビール瓶が小さいもセビリアの特徴だそうです。


宿泊したホステル屋上のテラス

明日は少し移動し、マラガという地中海側の地域を引き続き観光します。

2024年4月10日(水)
マラガ
(アルカサバ、ヒブラルファロ城)

今日はセビリアから少し南東側に移動しマラガに来ています。
アルカサバは要塞という意味で昨日訪れたアルカサルは宮殿、王宮という意味だそうです。床はレンガが敷き詰めてあり、布のタペストリーもなく、一方で宮殿内までは迷路のように複雑で、丘に建てていることから傾斜もあり、昨日のアルカサルとは背景が異なることがよく分かりました。また、日本でも通路を複雑にしたり丘に建てたり城壁を設けた城があるかと思いますので、どこの国でも似たような戦略が練られていたのだろうなと思いました。当時のアルカサバと日本のお城の設計士が話をしたらさぞかし盛り上がるだろうなと当時に思いを馳せながら見学していました。


アルカサバ入口


アルカサバ内の宮殿への通路

ヒブラルファロ城では15世紀から19世紀までの当時の兵士の武器や服装が展示してありました。アルカサバから連続して更に高い位置にヒブラルファロ城があり、アルカサバの宮殿を主とした街を守るように建てられていることが分かります。また、観光地としても地中海とマラガ市内を一望でき素晴らしい景色でした。


ヒブラルファロ城内からの景色

また、マラガは海に面しているのでビーチサイドに行ってみました。この時期でも多くの人が日光浴を楽しんでいました。
晩御飯にはイスタンブール料理のお店へ行きました。こちらに来て気づきましたが、日本ではイタリヤ、中華、インドなどの飲食店がありますが、こちらではケバブ(メキシコ)、イスタンブール、日本などの飲食店があり意外と中華料理店は少ないです。人気の外国料理が違うのだなと思いました。写真は茄子を皿のようにしてトマトで煮込んだミンチをのせている料理ですが、とんでもなく美味しいのに日本では見たことがありません。海外では訪れた国ではない料理も楽しめるのだと実感しました。

明日はバルセロナに戻り、初日に断念したサクラダファミリアに行ってきます!

2024年4月11日(木)
バルセロナ
(サクラダファミリア)

本日は6時間以上を電車で過ごし、スペインで最後の乗車ですのでスペインの公共交通機関についてレポートします。スペインでは使用した全てのバス、電車でクレジットカードでの決済が可能でした。タッチ式のクレジットカードがかなり普及しており、電車もバスもカードをかざすだけで決済できます。クレジットカード一枚で生活できるスペインの方がとても便利に感じました。また、バスも電車もキレイなものが多く地下鉄も最近整備が進んでいるようなので、私が勝手に想像していた汚く雰囲気の悪い場所というイメージとは全く異なりました。


新幹線の中あるカフェ(ここで立食もできます)

景色についてはスペインの田舎の方は高低差の少ない土地が多く、広大な畑をよく見かけます。田舎の風景も日本と異なり外を見ていても飽きません。


電車の車窓からスペインの田舎の風景

サクラダファミリア
初日に断念したサクラダファミリアにリベンジにきました。こちらはバルセロナ出身のガウディの作品の一つとして世界遺産に登録されている教会です。また教会内に関連する資料館のようなものもあり、ガウディがいかに建設の着想を得ていたのか等が書かれています。ちなみに1882年の着工から300年の年月がかかると言われており、建設が終わらないことでも有名なサクラダファミリアですが、現在の建築技術の向上により劇的に状況が改善し、2026年完成予定だったそうです。コロナによる収入減で2026年の完成は難しくなったそうですが、あと数年で完成するとしたら150年程度で完成ということになるので、当初の予定から半減ですから驚きます。また、世界遺産のサクラダファミリアですがなんと2019年まで建築申請が通っておらず130年近くも違法建築状態だったそうです。


サクラダファミリアの外観


階段に設けられているステンドグラス

明日はついにスペインを離れてしまいます。スペイン語で話してくる人も多いですが、親切な人が多くとても居心地の良い国で離れるのが寂しいです。明日はパリ(フランス)に向かいます。

2024年4月12日(金)
パリ

今日はパリにむけて7時間の移動となりました。フランスの高速鉄道TGVでの移動はWi-Fiがあり、さらにTGV提供のホームページもありここから映画などを楽しむことができます。
風景は昨日までの畑が多い景色とは若干異なり、鉄道の旅ではこういった変化を楽しめています。スペインでは見かけなかった牛の放牧地がありましたが、とてつもない広さで驚きました。アニマルウェルフェア上素晴らしいと思いましたし、これがもしフランスのスタンダードであれば日本での飼育方法に疑問を抱くことにも納得できると思いました。


乗車した高速鉄道(二階建てで驚きました)


電車の車窓から見えた牛の放牧地(写真中心あたりの白い点が牛)

本日も電車が長く観光地の紹介が無いので、このような日には旅行中に便利に利用しているアプリ、サイトなどをレポートしたいと思います。まずは、eurailのアプリ(rail planner)です。eurailとはヨーロッパの鉄道が乗り放題のチケットですが、このチケットをアプリに紐付けると乗換案内機能で調べた乗りたい区間の乗車券を予約できます。また、予約後はアプリ内で各乗車用のQRコードを生成するので、これを提示するだけで乗車可能です。(ちなみに市内の電車やバスは非対応、日本で言うところのJRだけの乗り放題、みたいなイメージに近いです。)また、この乗り放題チケットは乗車券にのみ有効なので、高速鉄道を使用する場合は別途高速の座席指定料金がかかりますが、この予約の要不要まで案内してくれるので初めてでも分かりやすいと思います。
また、この乗り放題チケットは22日間など期間で選択出来るものと、30日間の内で15日というように有効にできる2種類あり、自身の旅程に合わせて選ぶことができます。
ヨーロッパ旅行の参考になればと思います。
また、折角の旅行なので様々なネットを活用した便利ツールを使用し紹介できればと思います。

ちなみに、ホテル到着が遅くなったので観光はしていませんが、無事にパリに到着しております。


Gare de Lyon駅

明日はサントシャペル、ルーブル美術館に行ってきます。

2024年4月13日(土)
パリ
(サントシャペル、ルーブル美術館)

サントシャペルではゴシック建設の最高傑作とも言われているそうで、実際に行ってみてその美しさに圧倒されました。ほとんど全ての壁をステンドグラスで構成しており、ステンドグラスはただ綺麗な色合いなだけでは無くそれぞれ意味を持たせているであろうデザインが施されています。


サントシャペルのステンドグラス

ルーブル美術館
ここは世界でも最大級の美術館だそうです。さらに建物自体も世界最大級の史跡だそうです。入場すると建物内に屋根にまでデザインが施されており感動しました。展示物もその地域の絵画というわけではなく、王族が使用していた家具からエジプトのスフィンクス等とても幅広く展示されており、世界の美術館なのだと実感しました。また、ルーブル美術館で1番有名な展示物はモナ・リザですが、ここでは多くの人が集まっており前列まで行くのに美術館の中で10分弱くらい並ぶ必要がありました。作品自体はネットでたくさん出てくると思うので、写真はモナ・リザの前に群がる人たちを撮影してみました。


ルーブル美術館外観(目を開けれないくらいの日光で眩しい顔です)


ルーブル美術館の内観(美術館自体が作品に思えます)


モナ・リザの前に並ぶ人(輝くおでこが私です)

今日のひとコマですが、パリでは路面電車、バス、地下鉄、鉄道などインフラ整備が充実しており、街も中々広いので、その分乗り換えなどが必要な場合があります。そんな中で今日は乗り換えでバスを待っているとマダムがフランス語で話しかけてくれました。全く何を言っているのか分からないですが、ジェスチャー等から次にくるバスは終点の大きい駅までは行かないよ!と注意してくれているのだと分かりました。初めて会う外国人に親切心から自身の言語で助言してくれていると分かり驚きました。日本でしたらだれかが教えるだろうとかいずれ分かるだろうと話しかけない人が多いと思います。とてもありがたいと思い、私も日本に帰ったらそのような積極性と親切心に溢れる人間になりたいと思いました。

明日はピカソ美術館(パリ)、エッフェル塔、凱旋門をみた後にモン・サン・ミシェルの最寄り駅まで移動します。

2024年4月14日(日)
パリ、ポントルソン
(ピカソ美術館)

ピカソはスペインに産まれ芸術活動に励んだ後に、フランスに移動してきたそうです。また、その生まれた場所はバルセロナで初日に訪問した美術館がその芸術家として早い時期の展示品が多い場所でした。有名なゲルニカはマドリードの美術館にありましたが、ピカソっぽいと思える作品の多くはパリの美術館にありました。スペインではバルセロナの他にマラガにも拠点を移していたこともあり美術館がありました。また、絵画だけではなく、彫刻の作品もあり私でも知っている作品は本当に極々一部でピカソの作品がとても多いことに驚きました。


ピカソの「羊を抱く男」

凱旋門はナポレオンの命によって造られたそうです。圧倒的な大きさで、凱旋門の左右にある彫刻の人物像は子供の像でも私より大きいほどでした。凱旋門を囲う様に環状の交差点になっており、放射状に道路がある点からもパリを象徴する建造物の一つなどだと分かり印象的でした。

エッフェル塔は1889年のパリ万国博覧会でのモニュメントとして製作されたそうです。高さは321mで現代ではそこまで高いという訳ではないですが、パリの象徴的な建造物であり、今も観光客で賑わっていました。散歩していると、ディズニーライオンキングのミュージカルの装いの人たちがエッフェル塔の前で撮影していましたので、その写真を選びます。ちなみにパリについてから至る所で工事をしているのを見かけますが、オリンピックに備え整備強化中なのでしょうか?


ライオンキングのミュージカルのCM撮影中と思われる人たちとエッフェル塔

今はモン・サン・ミシェルの最寄駅、ポントルソンに到着し日報を書いています。テレビで見ることもある有名なモン・サン・ミシェルですが、ほとんどの人のアクセスはパリからバスのようで、ポントルソン駅はいかにも田舎町という感じでした。田舎町も日本とは異なる風情で来て良かったです。街の人もとても親切!ということで明日はモン・サン・ミシェルに行ってきます。


おそらく1番栄えているポントルソンの街並み

2024年4月15日(月)
モン・サン・ミシェル

今日は朝方からモン・サン・ミシェルに行って来ました。朝外に出て気付いたのですが、寒いです。パリでも若干感じていたのですが、マラガなどと比較してかなり寒く感じます。周りの人の服装も、半袖からウルトラライトダウンへと様変わりしています。長距離移動を伴う海外旅行では服装も気をつけなければなりません。
モン・サン・ミシェルへは昨日宿泊したポントルソンからバスで向かいました。サン・マロという湾内にある小島の建てられた修道院で周りが海に囲まれていることが特徴です。一本の橋がかけられており、ここから島内に向かいます。


橋の上から撮影したモン・サン・ミシェル(周りの人も上着を着ています)

近づくにつれて私の脳内でハリーポッターの曲が再生されまるでUSJに来たかの様な気持ちになりました。事前の調査不足で申し訳ないのですが、後から調べてみるとやはりハリーポッターで出てきたホグワーツ魔法学校のモデルになった修道院だそうです。内部もここはあのシーンで見たような気がするなと思う場所が多々あり、ハリーポッターファンには必見だと思いました。
1023年から建造を開始した古くからある修道院でイギリスとの戦時中は要塞として活躍したり、監獄として利用された歴史もあるそうです。


島内の写真を沢山撮影したつもりですが思った程良い写真がなく悔やまれます

旅のひとコマですが、帰りのバスを待っているとインドの方に帰り方を尋ねられ、そこから少し話したのですが、”ユニクロのウルトラライトダウンすごくコンパクトになるしめっちゃ良いよね!”というような話をされて誇らしい気持ちになりました。”やっぱりダウンはユニクロだよね!”と便乗して話した後に、”まぁ僕のダウンはユニクロじゃないけどね!”という話をしました。”ユニクロじゃないんかーい”みたいになるかなと思ったのですが、”あぁそうなんだ!”で終わり、ツッコミは日本の文化なのだなと実感したひと時でした。

現在は電車でパリに戻る道中で明日はヴェルサイユ宮殿、オルセー美術館を観光します。

2024年4月16日(火)
パリ
(ヴェルサイユ宮殿、オルセー美術館)

ヴェルサイユ宮殿は昼からの入場券を購入しましたが、パリから1時間近くかかり、宮殿内の公園には時間より早くから入ることができる上に散策だけでも1-2時間かかるため、午前中から行って程良いくらいでした。
宮殿内の庭園はそれだけで40年の歳月をかけて建てられたそうです。また、その広さは850haと
宮殿内はとてつもない広さでした。ちなみに東京ドームと比べるのが日本人の性だと思うので検索して比べてみましたが約170個分です。


ヴェルサイユ宮殿外観

また、宮殿内は展示の作品よりも建物の豪華さに感動しました。どの部屋にも壁から屋根まで絵が施されており、全ての部屋で視界の全てに芸術作品があるようでした。


宮殿内の一部屋

オルセー美術館とルーブル美術館はその収蔵作品の年代に違いがあるそうで、先日レポートしたようにルーブル美術館は古くからの芸術品が多い(1848年ころまでだそうです)一方、オルセー美術館はこれ以降から第一次世界大戦ころまでの作品があるそうです。画家としてはゴッホやモネの作品が展示してあります。初めて私でも知っているような有名な画家の作品を並べて見ることができたのですが、比べて見ると画家によって表現の仕方が違い絵画の魅力の一つがようやく分かった気がしました。


印象に残ったゴッホの作品(Chaumes de Cordeville à Auvers-sur-Oise、日本語:オーヴェル=シュル=オワーズ(という町)のコルドヴィル(というバス停)の茅葺き屋根)

今日のひとコマですが、ヨーロッパでは通り雨が多いのか数分間の土砂降りの雨が降ってきます。今日はヴェルサイユ宮殿の入場待ちの時に降ってきたのですが、ホテルに雨具を忘れており身を守る術がなく雨の中佇んでいましたが、すぐに後ろの傘を持った方が私の腕を掴んで傘の中に入れてくれました。他の周りの方も入れて鮨詰状態になりながらも雨を凌ぐことができ、素敵な旅の記憶となりました。

明日からはフランスを離れスイスへ向かいます。

2024年4月17日(水)
ジュネーブ
(ジェッドー大噴水、サンピエール大聖堂)

今日はフランスを離れスイスのジュネーブへ向かいました。スイスへ向かう道中では、これまでとは異なり山々に囲まれ、雪の残るアルプス山脈も見ることが出来ました。


奥に見える積雪した山々が西アルプス山脈

ジュネーブは西ヨーロッパ最大のレマン湖という湖に面した町ですが、ここでは高さ140mにもなる大噴水が有名です。噴水といっても石像の口から水が出ているというわけでなく、元々は水力発電所の水圧制御の為に放水していたものが象徴的なものとして定着して不要になった今も残しているそうです。そのため石像などがある噴水とは異なり言ってしまえばただの放水ですが、それでもこの規模になれば見応えがありました。

サンピエール大聖堂は様々な建築様式が混在し建てられているそうです。これまでのスペイン、フランスで様々な様式を見てきたからかサントシャペルに似た作りだなとか僅かではありますか、違いが分かるようになってきました。また、これまでの教会は観光地として人気で雑音が多かったのですが、こちらは比較的観光客も少なく、教会としての雰囲気も充分に味わうことができました。

明日は早朝からスイスを離れイタリア(ミラノ)に向かいます。

2024年4月18日(木)
ミラノ(イタリア)
(ミラノ大聖堂、スフォルツェスコ城)

今日は予定通りスイスからイタリアへ移動しました。スイス出発時刻を5時39分ととんでもなく速い時間で予約しており真っ暗の中の移動で緊張しました。道中の景色は街中に入るまではスイスと同じような山と川や湖が見える素敵な景色を楽しむことが出来ました。

ミラノ大聖堂ではこれまでの教会との違いとして尖塔が目立ち、建物の1番高い場所には黄金の聖母マリアが飾られていました。また、大聖堂に関する博物館も見る事ができ、建物に使用されているステンドグラスや彫刻が展示されていました。これまでの教会ではこれらは建物の一部として遠くから見ていましたが、間近で見ることでその精巧さや色褪せを見ることで歴史を実感することができました。


先の尖っているところ(尖塔)が特徴のミラノ大聖堂


色褪せから歴史を実感できたステンドグラス

スフォルツェスコ城はミラノの貴族により建てられた煉瓦造りの城塞ですが、現在は博物館として機能しています。中には年代別の家具、兵士の服装、楽器、食器など様々な展示物がありました。特に印象に残ったのが彫刻なのですが、厚みのある石版に立体的に彫られていてこれまでの美術館にはない様式で地域の差を感じましたし、色々な角度から見ているうちに近づきすぎて警備員の方に注意されるほど楽しめました。


奥行きが10cm弱くらいありそうな石版に彫られた彫刻

明日はダヴィンチの作品、最後の晩餐を見てきます。

2024年4月19日(金)
ミラノ
(最後の晩餐、ダヴィンチ博物館)

最後の晩餐はダヴィンチが描いた壁画ですが、これは教会の食堂に描かれており、これまでの美術館とは異なりこの作品のためだけ(反対側の壁にも壁画はありますが)にチケットを購入する必要があります。しかし現地で購入しようとしている人はチケットは4月分は完売したと言われておりその知名度の高さが伺えました。事前に多少の知識を入れて行ったのですが、最後の晩餐はイエスの弟子の12使徒に”この中の1人が裏切るだろう”と言った後の食事風景でこの翌日にイエスは一度処刑されるため、”最後の晩餐”と言うタイトルだそうです。
事前知識を入れていたのでイエスの弟子たちがそれぞれ何をしているのか、裏切り者の動きなどがイメージでき、貴重な時間を楽しむことができました。


“最後の晩餐”が展示されている教会

レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノが拠点の一つだったそうでこれに因んで博物館がありました。ここでは、何も調べず入場したのですが、ダヴィンチに関する展示は一部で、エコロジー、製鉄、電話、鉄道、船、宇宙さらには粒子加速器に関することまで、科学に関することを幅広く取り扱っており、想像以上のボリュームでした。
ちなみに粒子加速器はスイスとイタリアを跨ぐ形で世界最大の装置があるそうです。
また、物理学駆使した昔の重い石を持ち上げる装置や歯車を駆使した戦争時の投石器の仕組み等も紹介されており、これまでの芸術品とは異なり人類の科学の歴史に触れることが出来ました。


ジュネーブの地下にイタリアとスイスを跨り加速器があることを説明する図


重い石を持ち上げるための装置


ダヴィンチが科学的に芸術活動をしていたことを説明する絵

明日は電車を乗り継いでオーストリアに向かいます。

2024年4月20日(土)
ウィーン

今日は終日移動になります。ミラノからアルプス山脈を横断してチューリッヒという町で電車を乗換え、アルプスを横目に見ながらウィーンへ向かうという経路です。アルプス山脈の横断では先日ミラノへ向かう道中で見えていた雪で覆われた山々の中に入ることが出来ました。
この辺りは標高の高さによって雪の残っているエリアと青々と緑が広がるエリアがありとても綺麗でした。また、トンネルで山を通り抜けると雪が降って見渡す限り雪景色、かと思えば次のトンネルを通り抜けるとまた草原が広がっていたりと、次々に移り変わる景色を楽しむことが出来ました。


雪で覆われた町


草原が広がる景色

ただ、アルプスを優雅に眺めながら移動できればと思っていたウィーンへ向かう電車では壁がスプレーで落書きされており、殆ど景色を見ることができませんでした。


指定された席からの景色

今日はこのまま日没まで電車なので、この旅行で重宝しているツール第二弾を紹介したいと思います。それはeSIMです。
初日から紹介している通り、ヨーロッパでは市街地で電車、地下鉄、路面電車、バスまで全て含めた乗り放題パスが販売されていることが多いですが、スマホのマップ機能での乗換案内無しではこれらを柔軟に乗りこなすことは困難です。
スペインまではコーヒーショップなどのWi-Fiを探しながら移動していたのですが、飲食店でWi-Fiがない店舗も多いので(Wi-Fiある?使わせてくれる?とお店で聞いたら、客ではなく業務用のWi-Fiを教えてくれたお店もあったので申し訳なく感じることもありました)スマホのネット環境を維持するメリットは大きいです。
また、観光地でもデジタル化が進んでおり、飲食店で英語のメニューをQRコードから案内したり、博物館の館内図もQRコード式のところがいくつかあるためネット環境があるとないとでは利便性に大きな差があります。
eSIMはネットで購入できるSIMで、指定したメールアドレスに送られてくるQRコードの読み取りによりSIMを追加するためネット環境さえあれば5分程度で接続することが出来ます。有効な地域もヨーロッパ、アジア、アメリカの様に広い範囲で指定、5日、10日など細かく日数で契約出来るのでこのヨーロッパ旅行は一回の契約で制限もなくネットを使うことが出来ています。また、ポケットWi-Fiのように機械がある訳ではないので返却などが必要ない点もメリットと言えます。
皆様の旅行の参考になれば幸いです。

明日はウィーンを観光していきます。

2024年4月21日(日)
ウィーン
(シェーンブルン宮殿、モーツァルトハウス、ホーフブルグ宮殿、ベルヴェデーレ宮殿)

シェーンブルン宮殿はハプスブルク家が離宮として使用していた宮殿で、広大な庭園や当時のまま残存する内装が見どころです。宮殿内は素晴らかったのですが、チケットを安いもの買ってしまいかなり短いコースでした。観光する際は全て周れるコースをお勧めします。


庭園から見える噴水越しのグロリエッテ(庭園の休憩場所の様なもの)

想定より時間が余ったのでモーツァルトハウス(モーツァルトがウィーンで過ごした家)に行ってみました。高収入ながらもギャンブル依存症で多額の借金を抱えていたことなど、名声を得るようになったウィーンでの意外な面も含めた暮らしを知ることができとても楽しめました。モーツァルトも欲の強い1人の人間だったのだなと思うと普段は聞かないオペラやオーケストラにも興味が持つことができました。


モーツァルトの住んでいた家(2年くらいしか住んでいない)

ホーフブルク宮殿は映画などでも描かれているエリザベート(シシィ)について展示した博物館、シシィ博物館へ行きました。シシィは馬術に精通しスタイル維持の為に家の中にトレーニング器具を置いていたそうで、これまでは”名前は聞いたことあるかな?”程度でしたが、途端に興味を持つことができました。自分の知らない世界にはまだまだ自分の興味を持てるものがあるのだなと実感しています。


ホーフブルク宮殿(トレーニング器具は撮影禁止でしたので外観のみ)

ベルヴェデーレ宮殿ではクリムトの作品に出会うことができました(今日まで全く知りませんでした。)。グスタフ・クリムトはオーストリアを代表する画家の1人で、金粉などを用いた豪華な作風が特徴だそうです。その作品は独創的で見ていて飽きることはありません。没後に見つかった未完成の作品には多くの下書きの後が残されており、作品を仕上げるときに何度も考察し修正していることがよく分かりクリムトの魅力をより感じることができました。余った時間で急遽行くことにしましたが、予想外の価値ある時間になりました。


クリムトの代表作「接吻」

ウィーン観光は芸術に疎い私でも様々な興味を持つことができ、さすが芸術の街だなと思いました。明日は早朝からウィーンを離れザルツブルグへ向かいます。

2024年4月22日(月)
ザルツブルグ
(モーツァルト生家、コンサート、ホーエンザルツブルク城)

モーツァルト生家はモーツァルトが生まれ育った家です。父も教科書を出版するほどの著名な音楽家で英才教育を受けたモーツァルトの幼少期を知ることができ、またオペラにはシーン毎に模型があり当時のものを見ることができました。


オペラ作品「ドン・ジョバンニ」の模型

連日モーツァルトについて学び、宮殿を見学していると、モーツァルトの音楽も是非聴いてみたいと思い、コンサートを体験してきました。初めてのクラシック音楽で自分が興味は持てないだろうと思っていましたが、90分あった演奏は一瞬で終わりました。知らない曲ばかりで作曲された背景を知らずに聞いていることが歯痒く思うほど興味を持つことができました。


コンサート会場のミラベル宮殿

ホーエンザルツブルク城はザルツブルグの街を一望でき、王侯ではなく大司教が建てたお城だそうです。大司教は当時は強い政治、軍事的な権力も持っていたそうです。小高い場所に大きな城壁を構えたこの城はマラガ(スペイン)で見たヒブラルファロ城と同様に歴史と共に要塞として活躍してきた歴史もあるそうで、年代ごとの兵士の武器や服装が展示されていました。


難航不落と言われるのも納得の城壁


ホーエンザルツブルク城から一望できる市街地

最後に旅のひとコマですが、実はヨーロッパに到着した頃から困っていたことがありました。それはお店出入口の警報器を通ると50%くらいの確率で警報が作動していたことです。iPadケースの磁力がダメなのかと思い外しても変わらず、解決策を見つけられずに約2週間が経過したのですが、理由が判明しました。初日に想定より寒かったことからライトダウンを購入したのですが、その生地を挟むように防犯タグがついていたのです。プラスチックがついていることには気づいていたのですが、きっと何かの機能があるのだろうと勝手に想像し放置しておりました。今日なりようやく、「これじゃない?」と思いました。服の一部だと信じていた私は、「そんなはずはないだろう」と思いインターネットでモデル着用写真を検索しましたが、私と同じ服には同じ場所にプラスチックはついていませんでした。流石に購入したバルセロナに戻る訳には行かないので検索してみたところ、防犯タグの外し忘れは稀にあるそうで自宅での外し方も掲載されていました。少し力が必要でしたがなんとか外す事が出来ました。警報器を通るたびドキドキしていたので、とても解放された気持ちになったと同時に、何故今まで気づかなかったのか不思議でなりません。よく考えれば、1人の店員の方には「君の体に磁力があるのかもね!」と言われ「ん?冗談かな?よく分からん冗談だな」と思い、笑って済ませてしまったのですが、きっとこの事を言っていたのでしょう。人の注意には真剣に耳を傾けるべきだったと反省しました。


外せた防犯タグ

明日はオーストリアを離れ、ミュンヘン(ドイツ)へ向かいます。

2024年4月23日(火)
ミュンヘン
(ミュンヘン・レジデンツ、宝物館、BMW博物館、ドイツ博物館)

ミュンヘン・レジデンツはバイエルン王国の王宮です。増築を繰り返された建物でその広さにも驚きますが、様々な建築様式を見ることができることが特徴です。中でも入場してすぐにあった先祖画が飾ってある部屋では100枚以上の先祖画が飾られ、長く続く家系図が描かれており、バイエルン王国の歴史の長さを実感できました。また、王国では東アジアの陶器がブームだったそうで、中国の物が主でしたが日本の柿右衛門や伊万里焼が飾られており驚くと同時に少し光栄な気持ちになりました。フランスなどの商人から買い付けていたそうです。


例年よりも寒いそうで新たに防寒着を装備した私とミュンヘンレジデンツ


レジデンツで展示されていた伊万里焼

レジデンツの博物館に連続する形で宝物館がありました。ここでは王宮で展示されていたり、関わりのある宝物が展示されていました。初めて宝石が散りばめられた王冠を見ることができました。実物で見ると散りばめられた無数の宝石一つ一つを職人が磨き上げ、王冠を作り上げた職人がいるという事に心を惹かれました。いつの時代にもプロフェッショナルな職人がおり、その時代の衣食住を築き上げ出来たのだなと実感しました。


(おそらく)有名な職人が仕上げたであろう王冠等の宝飾品

BMW博物館はその名の通り、ミュンヘンに本社を構えるBMWの博物館です。1939年から現代、最新の車、レース用の車、バイクまで存分に楽しむことが出来ました。また、ミニやロールスロイスもグループということで見ることが出来ました。ロールスロイスは私の少ない言葉の引出しでは言い表わすことが出来ない高級感でした。ちなみに、在住していた広島ではマツダの車をよく比較的多く見ると実感していましたが、ミュンヘンだからといって特にBMWが多いなとは感じませんでした。


2009年のコンセプトカー

明日も引き続きニンフェンブルク城、ドイツ博物館等、ミュンヘン市を散策します。

2024年4月24日(水)
ミュンヘン
(ドイツ博物館、ニンフェンブルク宮殿、馬車博物館、ホフブロイハウス)

ドイツ博物館は物理学をメインとした科学の歴史博物館という感じでした。日本ではあまり見ることができない昔の実験器具、飛行機や宇宙まで幅広く観ることができました。中でも印象的だったのは、橋と堰(せき)の展示です。橋は建設の仕方には興味があったので、様々な種類、建築方式を見ることができ勉強になりました。また、江戸時代のはね橋や36,830本のワイヤーを束ねることで一本のケーブルとしたことが特徴の明石海峡大橋が紹介されていました。これを見ていて、もし海外の人にはね橋や明石海峡大橋のことを聞かれても全く答えることが出来ないなと思いました。海外の方目線の日本に関する知識がどの様なものなのか知る必要性を感じました。


明石海峡大橋のメインケーブルの模型

ニンフェンブルク宮殿は昨日見学したレジデンツに住んでいた王家の離宮として建設された宮殿で
す。実写版美女と野獣におけるダンスシーンのモデルとなった鏡の間や美人を描いた絵画が一面に飾られる美人画ギャラリーなど、これまでと異なる嗜好の部屋や絵画を楽しむことができました。


比較的シンプルな外観のニンフェンブルク宮殿

馬車博物館はニンフェンブルク宮殿と隣接しており、宮殿の入場券とセットで購入できます。カール7世の載冠式で用いられた金色に輝く馬車を始めとして様々な用途で用いられた馬車が展示されていました。これまでの宮殿や博物館では絵画の中でしか見ることができませんでしたが、間近で見るとなかなか迫力がありました。


カール7世の載冠式の際の馬車

ホフブロイハウスは飲食店なのですが、なんと国営ビアホールだそうです。さすがドイツです。検索するとドイツで1番有名とも書かれている、州立のビール醸造会社直営のビアホールです。ただし、値段は国立といっても極端に安い訳ではありませんでした。ミュンヘンが発祥の白ウインナー(お湯に浮いているのが特徴)とドイツの季節の特産野菜であるホワイトアスパラガスのスープと一緒にいただき、ミュンヘンを味わいました。時間が合えば生演奏なども聴けたそうです。


ホフブロイハウスの店内の雰囲気

明日はミュンヘンを離れベルリンへ向かいます。

2024年4月25日(木)
ベルリン
(ブランデンブルク門、ベルリンユダヤ博物館、イーストサイドギャラリー)

早朝から移動し5時間程度かかりベルリンへ到着しました。ドイツに来てこれまでの景観が維持された街というよりかは近代化した都市という雰囲気を感じます。

ブランデンブルク門ですがこれまでの凱旋門とは由来が異なります。ベルリンにおいて関税をかけるため門が作られていたそうで、ブランデンブルク門はそのうちの一つです。最上部に飾られるヴィクトリア像はナポレオンが征服した際に戦利品とし持ち帰られ、後の争いで取り返したそうです。その後にベルリンの壁ができた際にはこの像が掲げる鉄十字紋章は平和の象徴のオリーブの杖に変えられたそうです。関税目的で建てた建造物がこの様な価値を持つものになり今となっては観光名所になるとは当時誰も想像していなかっただろうなと思いました。現代の建築物も数百年後には観光名所になっていたりするのでしょうか?

ベルリンユダヤ博物館はユダヤ人迫害のみではなく、ユダヤの歴史を知る博物館でした。博物館自体もユダヤ系アメリカ人の方が設計しており、独特な形です。中には亡くなったユダヤ人の遺留品などもありました。ホロコーストタワーというとても高い一点から日光が差し込む暗い部屋があり、また目、鼻、口を切り抜いた金属片を何枚も敷き詰めた通路ではその上を歩くたびに金属音が鳴り響き、不安感や恐怖心を体験させる様な博物館になっていました。ユダヤ人の迫害について芸術で表現している点が非常に印象的でした。

イーストサイドギャラリーは現存しているベルリンの壁に多くのアーティストが作品を描いた通りですが、その長さは1.3kmにも及びます。また、作品毎にQRコードが備え付けられており、説明を見ることもできます。100人以上の芸術家が関わったこの壁には様々な人の想いや考えが表現されていました。


イーストサイドギャラリーで最も有名なキスの壁画

明日は引き続き博物館島等のベルリン市内を観光します。

2024年4月26日(金)
ベルリン
(虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)、ソビエト戦争記念碑、ベルリン大聖堂、新博物館)

この記念碑は2711個にも及ぶ墓標に見立てた石柱が並んでおり、波形の地面と歪な石柱の高さにより中心部は4.8m近くあります。昨日のユダヤ博物館同様に不安や困惑を誘う意図のモニュメントになっており標識も設置されていません。実は昨日訪れていたのですが、資料館があることを知らずに通り過ぎてしまいました。そのため今日は改めて資料館を探すとこから始まりました。資料館では年を追って次第にエスカレートした虐殺の歴史や当時のユダヤ人家族の写真、移動経路や個々人がどの様な最後を迎えたのか等が記録されており、息が詰まる思いでした。


街中にあるホロコースト記念碑の石柱

ソビエト戦争記念碑は第二次世界大戦中にベルリンで戦い命を落としたソビエトの兵士80,000人を記念するために作られたそうです。ホロコースト記念碑からすぐ近くにあり、これがドイツが歩んできた歴史なのだなと思いました。

ベルリンには博物館島と呼ばれる世界遺産となっている博物館が集まる島があります。時間も限られていたので、その中のうちベルリン大聖堂と新博物館へ行きました。
ベルリン大聖堂は屋根を構成するドームがとても印象的でした。新博物館ではネフェルティティの胸像というエジプト王妃の像が有名ですが、3,000年という年月を感じさせない美しさでした。また、その他にも石棺や木棺等の古代エジプトの展示物が多くを占めており、これまでの美術館と異なる地域、時代を感じることができました。


ドームが特徴のベルリン大聖堂


新博物館に展示されているベルリンの金の帽子

今日でドイツ観光は最後になります。フランスでも少し感じましたが、この国は治安が良い悪いと言いますが、地域が変われば治安は大きく違うなと実感しています。ヨーロッパ内では治安が良いと書かれているドイツでもミュンヘンとベルリンでは雰囲気が異なりますし、ベルリンの特定の地域は明らかに治安の悪さを感じました。旅行する際にはホテル予約する時にどの地域に位置したホテルなのか確認することが望ましいなと思いました。
明日の早朝からドイツを離れコペンハーゲンへ向かいます。

2024年4月27日(土)
コペンハーゲン(デンマーク)

今日はベルリンから7時間程度かけてコペンハーゲンへ移動します。
電車内では日本の大学に通っていたというオランダ人のトムさんと出会うことができ、これまでの旅の話やその方の日本での生活の話をしました。会話の中で日本の人はあまり英語を話せないという話になり、その中で日本人はすごく英語を正しく話そうとするよね、とも言われました。言われて気づいたのですが、確かに日本語で話す時は正しく話すように文法等を気にして話はしません。日本語でも話す→書く→正しい文法の順で学んだ様に英語も同じプロセスで学んだ方が良いのだろうなと思いました。
また、トムさんにコペンハーゲンでおすすめのレストランを教えて貰う中で興味深い話が聞けたのでそちらも紹介します。おすすめされたのはビーフタルタル(牛肉のタタキ)を提供するレストランでした。しかし海外ということで不安になり、お腹壊したりしないのか質問したところ、トムさんも日本のレストランなら信じるけどヨーロッパでの料理はあまり信じてはいないそうです。ただ、トムさんいわく目安として人気店に行くことを心掛けているそうで、その理由は人気だから多くの人が食べても大丈夫であるからということと、回転が早いから食材も新鮮なはずだと言っていました。日本では考えたこともなかったので、環境が変わればアイデアも変わるのだなと思いました。

コペンハーゲンでは到着が15時を過ぎましたので、施設内の見学は諦め、市内を散策しましたが比較的コンパクトな町で観光地として有名な場所は概ね巡ることができました。どれもこれまでとは明らかに文化の異なる景色でとても美しかったです。
コペンハーゲンで最も驚いたのは地下鉄の駅にトイレが無いことです。また、公園などでもトイレは見当たりません。これまでの国では有料のところはありましたがどこも基本的にトイレはありました。コペンハーゲンの方々はトイレに行きたい時はどうするのでしょうか。


カステレット要塞にあった風車


コペンハーゲンで有名なニューハウンの街並み


広場で見ることができた衛兵の行進


散歩中に見つけた市場

明日はついにこの海外遊学で訪れる最後の国ノルウェーに向かいます。

2024年4月28日(日)
オスロ(デンマーク)

本日はコペンハーゲンからオスロに約9時間かけて移動しました。コペンハーゲンからオスロへの道中はヨーロッパの大陸とスカンジナビア半島とを結ぶ橋を渡り、海の中に設置された大量の風力発電やドイツまでとはまた異なる田舎の景色や(北海油田の)北海を横目に移動し優雅に風景を楽しむことが出来ました。


橋からみた海の景色(拡大していただければ奥に風力発電機が見えます)


家や作物の雰囲気が変わった田舎風景

オスロに到着しました。街並みの雰囲気はデンマークに近い感じなのかなと思いましたが、ビルなどもよく見かけます。また、オスロ駅は時刻表などがテレビ画面の様に電子化されており、発展した国という印象を受けます。


オスロのレストランが並ぶ街並み

移動時間が長いので、旅で重宝しているツールの三つ目を紹介します。それは荷物一時預かりサービス(アプリ)です。実はヨーロッパではコインロッカーをあまり見かけません。荷物はどうするのかというと大半は一緒に持って移動するかホテルに預けるかです。ですが、ホテルが到着駅や観光地から離れている場合一度ホテルに預けるのはとても面倒です。そのようた時に使用しているのがこのアプリですが、ホテルやコンビニの様な場所で荷物預かりしてくれる店舗が登録しておりアプリ内でそれらを検索することができます。朝に観光地に到着し夜にホテルに向かうまで荷物が邪魔な場合などにとても便利でした。ちなみにホテルが近い場合は大抵チェックイン前でも荷物だけ置かせておいてくれるのでホテルに預けています。必要なタイミングがあればぜひ使ってみてください。

明日はオスロを離れベルゲンへ向かいます。

2024年4月29日(月)
ベルゲン(ノルウェー)

早朝からオスロを発ちベルゲンへ向かいました。ベルゲンに向かう道中は山々に囲まれフィヨルドも見ることができこれまで経験したことが無い景色に圧倒されました。また、高いところでは1,400m程度にもなる標高によって雪景色のエリアも多々ありましたが、スイスで見た雪景色とはまた異なり(違いをうまく言い表せませんが)楽しむことができました。


電車からの風景

電車が遅れ到着は予定より遅い16時頃となりましたが、最終目的地のベルゲンへ到着し、こちらでの施設見学などをコーディネートしてくださるヨルゲンさんにお会いすることができました。
到着後は車でベルゲンの街を案内してもらいながら宿泊するホテルへ向かい、到着後はホテル内でサーモンが養殖に適した魚種である理由やノルウェーでの標準的な養殖業者の規模や施設設備等について座学をしていただきました。ノルウェーでは飼料給餌は飼料タンクの様な船から管轄する生簀すべてにホースが伸び、サーモンの様子を監視することで数分毎に給餌量を管理し断続的に給餌すること等を知り高度に自動化されていることに驚きました。またこの高度な自動化により全周100m以上の生簀8-10基程度を2名前後で管理して一人当たりの高い収益性を保っていることなど産業として大成功を納めている養殖業の現状を知ることができました。

座学終了後はホテルを出てベルゲンの街を散策しながら、ベルゲンがオスロに次ぐ2番目の都市でノルウェーにおけるEU各国を主とした交易の場であることや世界遺産となっているブリッゲン地区のこと等のこの地域に関することを教えていただきました。ベルゲンという地域がどの様に発展してきたのか知ることが出来ました。


ブリッゲン地区の木造建築

明日は施設見学も含め引き続きベルゲンを案内していただきます。

2024年4月30日(火)
ベルゲン
(LUMIC、養殖施設、処理施設見学)

本日はベルゲン周辺の施設を見学しました。
ワクチン自動接種機を販売しているLUMICでは新型でさらに自動化が進んだ接種機について説明を受けました。サーモンをポンプで汲み上げサイズを計測しそれに応じて接種が適当な部位に針の位置を調整できるということでほとんど人の手が不要になっていました。

養殖施設では実際にボートで全周120mにもなる生簀と全ての生簀を管理する役割を担う船内まで連れて行っていただけました。また、給餌は管理する船の中にある飼料タンクからポンプで生簀の中心に繋がりスプリンクラーの様な形で撒いていくので均等に給餌できるとのことでした。死魚の回収についても船からポンプが繋がっておりスイッチ一つで回収をすることができるとのこです。また、回収は毎日行いますが、同時に生簀ごとに死魚の数量や状態を監視しているので、死亡数の増や異常に気づくことができるとのことです。また、カメラも設置してあり断続的に撒く飼料に対する反応をモニターで日々確認することで管理していました。
これらの給餌量、死魚の解剖、カメラ操作まで1つの管理用の船において施設管理下の6基の全ての生簀を管理しており、故障などのイレギュラーを除き平時の作業はほぼ自動化され、その日にいたスタッフの方は船内で談笑しながら仕事をしていました。これがノルウェーの漁業なのかと衝撃でした。


ボートから撮影した管理用の船とそこから生簀にホースが伸びている様子


全周120mの生簀(これがノルウェーの標準サイズとのこと)

処理施設では運ばれてきたサーモンを数日間係留しておく生簀やそこからポンプが施設内に繋がり一度も網に掛けられることなく処理施設まで運搬されていく流れが出来ているという説明を受けました。また、処理の際に排出される頭部や内臓などは隣接する他施設に即時に運搬されオイルなどの加工物になるという非常に無駄のないシステムになっていました。


遠目からみた係留用の生簀

夕方にはベルゲンを囲む山にあるケーブルカーに乗り山頂でベルゲンの景色を堪能しました。多くの島に囲まれて安定したベルゲンの風景は非常に美しく、多くの観光客で賑わっていました。


フロイエン山から見たベルゲンの風景

明日はベルゲンからボムロー島という養殖が盛んな島へフィヨルドを外周しながら向かいます。

2024年5月1日(水)
ボムロー島

今日はベルゲン市内から少し離れたボムローという島に移動しました。5月1日は祝日でほとんど全ての店、会社が休んでいるとのことでノルウェーで2番目の規模を誇るハダンゲルフィヨルドの周りを外周する遠回りのルートにすることで自然を体験しながら移動していただきました。

ハダンゲルフィヨルドは有数のサーモン産地でもあります。道中は昨日行った漁場の生簀とは少し形状などが異なる生簀を遠目から見ることができました。孵卵場では出荷するサイズまで育つと孵卵場から港までを繋ぐパイプから港につけた船にサーモンを流し込むことが出来るという話を聞きました。今ではノルウェーの生産現場でサーモンに直接触れる機会はほとんど無さそうです。


国に認可され研修施設の様な役割も担う漁場

ノルウェーは岩でできた崖が多く、そのためとても長いトンネルが至る所にありました。トンネル内に環状の交差点や螺旋状に登るトンネルもありこれらの構造を見るだけでもとても感動しました。また、道中では滝も多く見ることができました。中でも有名なヴォーリングフォッセンという180mにも及ぶ高さを落下する滝は壮観でした。


トンネル内の環状交差点


高所恐怖症でややひきつった顔の私と滝

他にも様々な場所や規模の滝や祝日ということでブラスバンド付きの行進、羊の放牧場など様々な風景を楽しむことができました。合計で9時間にもなる長いドライブをしていただき、ヨルギンさんへの感謝は尽きませんし、その間にサーモン養殖で1番の課題であるシーライスのこと、出身のフェロー諸島の文化について、ノルウェーでいかに電気自動車の普及が進んだか等様々な話を聞くことができとても楽しく、勉強になりました。

明日はボムロー島内でサーモン関連施設を見学させていただきます。

2024年5月2日(木)
ボムロー島

今日は島周辺の養殖に関連した施設を見学させていただきました。

孵卵場では水を綺麗に保つために大量の淡水が必要になります。しかし、孵卵場で育てた後は海水の養殖場に移動するので淡水の湖とフィヨルドによる海水が混在するこの土地は一貫生産に適している様です。一方で近年では水の浄化システムが発展し、90%近くの水を浄化し再利用可能な技術もあります。


孵卵場手前に見えるホースが上流の湖に繋がり、孵卵場の奥に見える水は海水で輸送船がすぐ近くに停めることができる

ノルウェーで刺身に適したサーモンを出荷するにはとても高いハードルがあるそうですが、それを可能としている養殖場を見学しました。その会社の大きな特徴を2点伺いました。
1点目はトレーサビリティです。孵卵場から加工場まで全工程を自社管理していることでトレーサビリティを保ち刺身に適用可能な認可を受けています。
2点目は独自の加工プロセスです。海上の生簀から2度まで冷やした陸上の生簀に移動し、しばらく泳がせることでより鮮度を保つことができます。さらにその生簀から出荷可能な状態にまで約2時間で全工程が終わるという独自のライン(他社は12時間近くかかる)を持つことで刺身に適したサーモンを生産しています。
この企業では今も加工工場等を新設しておりサーモン養殖の生産性の高さが分かります。


船の横の生簀で数日係留し右の陸上に見える円形の保冷タンクに移動させる

プラスチックの生簀や生簀内のカメラ等を製造する会社も見学しました。2日前に見た金属製の生簀と比較してプラスチックの方が柔軟性の高さからより荒れやすい地域にも適応可能です。柔軟性が高いといってもプラスチックは非常に分厚く硬く頑丈でした。下の写真の様な棒状のプラスチックを溶接し繋げて円形にします。


プラスチック製生簀の枠は中に発泡スチロールを入れることで万が一枠が破損し水が入っても沈まない様に設計されている

本日がヨルギンさんと行動する最後の日でした。夜にはこの3日間で何を感じたかなど多くの話をして楽しい時間を過ごすことができました。明日は高速船でベルゲンへ戻ります。

2024年5月3日(金)
ベルゲン

ボムロー島からベルゲン市内に高速艇を利用し、移動しました。外に出て大小様々な島に囲まれた美しい景色や養殖施設を間近で見ながら移動できました。


高速艇から見ることができた養殖漁場


ボムロー島からベルゲン市内を往復する高速艇

午後からはヨルゲンさんにおすすめされたウルリーケン山に行きました。5月1日から運行開始したベルゲンから出発するシャトルバスを見つけ簡単に行くことができました。先日行ったフロイエン山よりもかなり標高が高く、ケーブルカーに乗り山頂へ移動した後に周囲をハイキングすることができ自然を満喫できました。周囲の山々よりも高いため山頂から北海を眺めることもでき絶景でした。


ベルゲン市内の奥に北海側の水平線が見える


山頂に点在する池とその背景にある島々(1番奥の方にある島がボムロー島だと思います)

山から戻りベルゲン市内を散策しました。夕食は2日目にヨルゲンさんと行ったピザ屋がとてつもなく美味しかったのでもう一度行きました。ノルウェーはピザが人気らしく、中々ハイレベルなピザ屋が多いそうです。そして、小腹が空いてきたので夜食にこちらもヨルギンさんのお家でいただいたスモークサーモンが忘れられずスーパーで同じものを購入しました。こんなに美味しいサーモンがこんなに安く入手出来るとは素晴らしい街だと思いました。


ヨルギンさんから教わったノルウェー語を頼りに購入したスモークサーモン(お酒は地元の蒸留酒のアクアビット)

明日はベルゲンをフェリーで離れソグネフィヨルドに面する街フロムへ行きます。

2024年5月4日(土)
フロム

ベルゲンからフロムへ向けて、ノルウェー最大であるソグネフィヨルドを移動できるフェリーに乗りました。周囲は標高の高い山々に囲まれボムロー島とはまた違った景色を楽しむことができました。雪どけにより数百メートルはありそうな高さから流れ落ちる滝や雪山を水上から眺める景色は見ていて飽きる事がありません。また、フィヨルドでは小さな港が点在していることが一般的らしくこのフェリーでも10カ所弱程の港に留まり、港を囲む小さな町の景色を楽しむことができました。
8時から13時30分頃まで5時間半ほどかかる長い船旅でしたが、あちこちに素晴らしい景色が広がるため乗客は私も含め立ったり座ったりと常にせわしないです。また、ただの輸送船ではなく、道中では滝があれば目前まで近づいてアナウンスしてくれたりとしっかりと観光させてくれるのでおすすめです。


島を繋ぐ橋の下を通過する際に撮影(まだ海に近いので背景に高い山々はありません)


寄港中のフェリーから撮影した景色(次第に標高が高く、雪山が見え始めます)


非常に急斜面の山が多く山頂付近から流れる滝を見ることができます

フロム近辺はロッジなどの貸出が多い一方でホテルは少なく、一泊3万円以上したのでホステルのドミトリーに宿泊しましたがそちらでは農業も営んでいる様で牛や羊を見ることができました。牛は見たことない品種で頭頂部を主として毛量が多くとてもかわかったです。ちゃんと前が見えているのでしょうか?


ホステルで飼育されていた牛(調べたところハイランドという品種だと思います)

明日は電車にてオスロへ戻ります。

2024年5月5日(日)
オスロ

フロムからミリダルという駅で乗り換えしオスロへ向かいます。フロムからミリダルまでの列車は観光列車の役割も担っているようで、景色に関するアナウンスや滝が有名な場所では5分程ですが降車して観光する時間もありました。
道中はフィヨルドから雪山の山頂近くまで続く道のりで山の斜面を沿うように線路があるため、基本的に片側が渓谷、片側が斜面になります。そのため美しい景色を探して右へ左へと目を移しなかなか忙しかったですが、大小様々な滝や川の流れの緩急や町並みも含めて多様な渓谷の風景を楽しむことができました。


一時降車させて撮影できる滝


車窓から眺める電車と渓谷の景色


山頂付近で雪の残るミリダル駅

オスロ駅到着後はムンク博物館へ行きました。”叫び”で有名なムンクの博物館ですが、独特な作風で描かれており、これまでの他の芸術家との作品の違いを楽しむことができました。また、この博物館ではムンクが描いた様々な作品を”叫び”、”死”、”孤独”などのテーマに分けており、展示方法を工夫していることが印象的でした。


ムンクの”叫び”作品の周囲だけ暗くしており、作品の出す雰囲気を強調しているように思います

明日はヴィーゲラン国立公園等のオスロ周辺を観光します。

2024年5月6日(月)
オスロ

オスロ駅から4km程離れた場所にヴィーゲラン彫刻公園というヴィーゲランの彫刻作品を200点以上展示している公園に行きました。ウィキペディアで確認したところ彼の遺言によりこの公園にはヴィーゲラン以外の作品を置いていないそうです。作品は人物像がほとんどを占めており、様々な格好をした男性や女性が並べてあり一つ一つ見ているととても時間がかかりますがお気に入りの像を見つけるのはとても楽しく感じました。


お気に入りの像(説明書きは無いので何をしているところなのかは想像にお任せします)


噴水の中央も周囲を囲む木の様な彫刻にも様々な人が彫られています

また、公園の中心のモノリスの台地というエリアにあるモノリス(石柱)も人が集まって出来たような作品になっています。高さ14mにもなる彫刻は1枚の岩で出来ており121人の像が彫られているそうです。私は見ていて少し怖いなという印象を持ったのですが、この石柱は聖なるものに近づこうとする人間の欲を表しているそうです。


人物像で造られた石柱

彫刻公園を見学した後はノルウェー王宮へ行きました。残念なことに本日は休業だったのですが、王宮から始まる軍隊の行進を見ることができました。終わった後に周囲を警備する警察に何のパレードだったのか質問したところ、モルドバの大統領が来訪しておりそれを祝う式典があったそうです。軍隊、海兵の行進や軍楽隊の演奏など普段できない経験をする事ができました。


軍隊の警備の中行進する軍楽隊(国旗に注目するとノルウェーとモルドバの国旗になっています)

今日で海外遊学は終わり、明日は帰国に向けた飛行機にのります。

2024年5月7日(火)
帰国(旅の総括)

本日の早朝から帰国に向け移動を開始しました。35日間の旅程で訪問した国は8カ国、電車での総移動距離は8,599kmに及ぶ旅でした。(これらの統計情報は電車乗り放題パスのアプリRailPlannerで確認することが出来ます)


RailPlannerアプリで見た移動の情報

海外遊学はスペインのバルセロナから始めました。インターネットの事前情報だとスリ等の軽犯罪が非常に多い地域であり、初めてのヨーロッパということもあり緊張していました。実際のバルセロナは観光都市として非常に良くコントロールされていてとても楽しく、危険な場所や時間を避ければ不安に感じることはありませんでした。インターネットからの情報だけでは分からないのだなと最初の街から実感しました。

その後、ヨーロッパを南北にジグザグに移動する様にノルウェーへ向かいました。気候も想像していたより大きく差がありましたし、陸続きで国境が変化してきたヨーロッパは地域で特色があるのだなと日本との違いを実感しました。1カ国を観光するだけでは分からない海外遊学のコンセプトだからこそ経験できたことは多いと感じました。

ノルウェーでは多くの水産関連施設を見学し、ノルウェーでの養殖業の標準的な形態やハイレベルな企業形態、国全体で養殖業が発展してきた経緯等を学ぶことができました。情報量が非常に多く覚えきれなかったこともありますが、それが悔しいと思うほどに全てが重要な経験だったと感じます。また、自分に何ができるのか考える上での基礎ができた様に思います。


飛行機内から見えた朝日

今回の海外遊学で得た経験が活かせるよう、気持ちを切り替えて仕事に励みます。

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