skip to Main Content

2025年度 海外遊学スタート!

ゴトー養殖研究所の入社前研修制度「海外遊学」。

今年も1名の新入社員が、自ら企画したヨーロッパ遊学の旅に出発しました。

昨年に引き続き、本年も2月20日から遊学レポートを随時交信していきます。

●海外遊学の期間:2025年2月20日~2025年3月24日
●遊学先:中東1カ国、ヨーロッパ9カ国

・UAE(ドバイ)
・ギリシャ(アテネ、キアト、パトラス)
・イタリア(バーリ、ナポリ、パレモル、シラクーザ)
・スイス(ジュネーブ)
・スペイン(バルセロナ、マドリード、トレド)
・フランス(パリ、ポントルソン、モン・サン・ミッシェル)
・ドイツ(ケルン)
・デンマーク(コペンハーゲン)
・ノルウェー(オスロ、ベルゲン、ボムロー島)
・イギリス(ロンドン)

 

Hさんの海外遊学レポート

2025年3月23日(日)・24日
イギリス→中国→日本(帰路)

今回の海外遊学は自分にとって大きな挑戦でした。

思えば、これまで単独で旅行に行った事がほとんどありません。1人で遠出をしたといえば就活で関東に面接行脚した時くらいでしょうか。それ以外だと友人と一緒に支笏湖や十勝に遊びに行ったくらいです

また、自分は英語が苦手です。どのくらい苦手かというと、トイックでは500点を少し超えるくらいの点数しか取れていません。この点数ですから、もちろんリスニングも得意ではないし、ましてや受験やテストで必要のないスピーキングは苦手というより出来ないと言ったほうが近いです。

このため、日本語の通じない異国で、1ヶ月もの長期間、1人旅するのは無謀にもかんじます。しかし、時間的な縛りを受けず海外に行ける最後の機会になると感じ、自分は安全圏に篭りやすい性格のため敢えて遊学に出て刺激を受けようと考え、遊学を決意しました。

この遊学に挑むにあたり、旅の目的を2つ定めました。1つ目は、その土地ならではのものを体験することです。例えばその土地に伝わる伝統的な料理を食べてみたり、観光してみたりして日本では感じれないものが得られればいいなと考えました。つまり、海外で見つけた新しいものに積極的に関わろうということです。2つ目は、英語力を向上させることです。一口に英語力の向上といっても難しいので、2つの目標を立てました。1つ目が長時間移動する際に隣の人と話すこと、2つ目が原則として会話の中でグーグル翻訳は使わないことです。

これらの目的や目標に沿って、これまでの遊学を振り返ろうと思います。どこに行き、何を感じたかの具体はこれまでの日報に書いているので、全体として感じたことなどをまとめようと思います。

1つ目の目的に関しては達成できました。巡った観光地は当然、その土地でしか見る事のできないものです。また、観光地を巡ったり、移動したりする中で、土地そのものを味わう事ができたと思います。ドバイの現代社会と宗教の融合した独特な雰囲気、ギリシャの荒涼とした空気感、シチリアの光と照り映える白亜。土地ごとにはっきり分かれているものではありませんが、確かに日本にはないものを感じれました。

また、ドバイ、ギリシャ、モンサンミッシェル、ハリーポッターワールドなど行ってみたいなと思っていたところに行くことができました。正直、遊学がなければ、いつか行ってみたいなとぼんやり思いながら、本を読んで夢想して、結局行かないで終わると思っていました。なので遊学があって初めて行きたいが現実味を帯びて、実際に行く事ができて本当に良かったです。また、おすすめされて組み込んだスペインも良かったです。気候も穏やかで過ごしやすく、何よりパエリアをはじめとした美味しいグルメが豊富にありました。また、実際のサグラダファミリアは映像や写真で見るものとは全然別物でした。雄大さとか、温かみとかを実物の方からは感じられた。これだけでもスペインに行った価値がありました。

2つ目の目的に関しては、結果から言うと英語力の向上は期待したほどはできませんでした。特に相手の質問に返答する際は、相手の言っている内容を理解するのと自分の返答を英語に訳するのとで、頭がパンクすることが割と多く発生しました。ただ、英語を話そうとすることへの抵抗感は減り、図太くはなったと思います。また、最初は単語文での会話しか出来なかったのが、テンパらなければ簡単な文章として出力出来るようになりました。

英語力の向上するための目標に関して、1つ目の目標は達成しましたが1回しか話せませんでした。その1回は日報にも載せたパリへの列車内です。隣に座られたデイビッドさんと話す事ができました。ただ、デイビッドさんが世話を積極的に焼いてくれる方だったからこそ話す事ができました。話しかけるにあたって、直前になり「何を話せばいいのかわからない」という問題にぶつかりました。英語が不自由だからではなく、会話の始まりが迷子になったのです。英語だけでなく会話自体も不自由なことが露呈してしまいました。その後も積極的に会話の機会を持とうとしましたが、反応は芳しくなかったです。思わぬ弱点が見つかりました。

2つ目の目標は、ロストバゲージした時とくらいしか会話では使いませんでした。また、観光において使う文章はある程度決まっているので、テンプレートを把握していれば会話が成り立ちました。ただレストランでメニューを見るときはずっと使ってました。英語じゃ無いことが大半だったし、英語でも疲れるから。しかし、それ以外では、列車が交通麻痺に巻き込まれた時もフランスで滞在するホテルがなくなった時もグーグル翻訳は使いませんでした。そのときは単にテンパっててグーグル翻訳の存在を忘れていただけですが、それでも振り返れば使っていませんでした。

しかし、これは決して自分の英語が上手くなったとかでは無く、助けてくれた人が皆親切だったからに他なりません。ボロボロの、単語文にすらなってしまう自分の英語をなんとか汲み取り、易しい英語でゆっくり、時に身振り手振りで、自分の理解できるレベルにまで降りてきてくれたから理解できてコミュニケーションが取れました。事実、手加減なしの英語だと何言ってるのか分からないことが大半でした。ハリーポッターワールドに行った際、ガイドが何言ってるか分からないため、周りの理解と反応に置いていかれるばかりでした。もっと勉強してコミュニケーションのギャップを埋める必要性を痛感しました。今回の遊学を通じて、会話は双方の言語能力の最小公倍数でしかやり取りが成立しないことが学べました。たとえ片方が完璧に言葉を操れたとしても、相手が理解出来なければ会話になりません。逆にお互い不自由にしか言葉を使えなくとも、お互いの理解できる要素を満たせれば、会話は成立します。今回の遊学では自分が常に会話の足を引っ張っていたので強く感じました。

今回の遊学をまとめると、全体として満足感のある旅になりました。日本語の通じない遠い土地で、1ヶ月、1人旅を完遂できたという事が、大きく自分の自信になりました。また、その土地でしか経験できないものを経験し、海外の空気を直に感じられたこともまた、今後の自分の糧となりました。英語を使わざるおえない環境に身を置くことで、英語に抱いていた苦手意識や恐れを払拭する機会になりました。また、自分の思わなかったところに弱点があることもわかりました。今後、仕事でも英語を使う機会があるでしょう。その際に使える英語が話せるように語彙を増やして、リスニングと返答時に頭がパンクしないよう負荷を減らせるようにしたいです。また、なぜコミュニケーションが取れなかったり、すれ違ったりするのかが感覚的に理解できたと思います。今回は単語でしたが、これが前提条件であったり共通理解でも成り立つと考えます。これはコミュニケーション全体に通底しているので、この学びを今後に活かしていきたいです。

最後にヨルギンさんを始め、今回の遊学をサポートしてくださった皆様、そして現地で助けてくださった方々、そしてその縁に改めて感謝申し上げます。

2025年3月22日(土)
イギリス

海外遊学の観光最終日です。今日は大英博物館に行きました。大英博物館は起源を辿ると、ハンス・スローン個人で収集した品々を政府が買い取り、展示したことから始まります。この様な由来を持つためか、大英博物館の収蔵品の多くは個人収集家からの寄贈だそうです。
長い歴史を持つため収蔵品の品目も多く、1日で全て巡ることはできませんが、今回はある程度品目を絞って周りました。その一つが、ロゼッタストーンです。ロゼッタストーンはエジプトで出土した石碑で、ヒエログリフ、デモティックおよびギリシャ文字でプトレマイオス5世の勅命が記されています。同一の文章が異なる文字で書かれていたため、ヒエログリフ解読の手がかりになりました。以前ネットで見たときは回りを紐で囲ってるだけだったのですが、流石にもうガラスで囲われていました。それでも近くから見れてよかったです。他にもパンテノン神殿の破風やアフリカで使われていた刃物や日用品などを見て周り、移動する時間になったので展示を後にしました。3日間のイギリス観光で見たいところは粗方見て周れました。

2025年3月21日(金)
イギリス

ロンドン観光2日目の今日は、ハリーポッタースタジオとシャーロックホームズ博物館に行きました。
ハリーポッターは自分が小さい頃に読書にはまったきっかけになった作品で、映画も好きだったので、スタジオ見学はとても楽しみにしていました。まず建物に入ると目の前に大きなドラゴンが吊ってあり、その足元を通ってコースの入り口に行く配置になっていました。入り口を抜けるとホグワーツの食堂があり、ドローレス・アンブリッジがフレッドとジョージにやり込められるシーンが再現されていました。四方から火花が吹き上がり、最後は霧を使ったプロジェクションマッピングで花火のドラゴンが出現しました。食堂中央で見れたので、非常に臨場感がありました。その後、映画の舞台裏であったり魔法生物や美術の裏話を聞いたりできて、凄く楽しかったです。


シャーロックホームズ博物館はベイカー街221番地のBにありました。作品内でホームズの家が登場する住所です。博物館の2階にホームズが依頼人に話を聞く部屋とホームズの自室、3階にワトソンの自室がありました。2階の部屋にはホームズの代名詞であるキセルと帽子以外にも、バイオリンや顕微鏡なども置かれていました。細々としたホームズの私物も再現されており、まるで実際にホームズ達がいたかの様な気持ちになりました。

2025年3月20日(木)
イギリス

ロンドン観光地はキングスクロス駅、ラドンホールマーケット、ロンドン橋、ロンドンアイ、ビッグベンと巡りました。前半2つはハリーポッターの撮影場所として知られています。キングスクロス駅はホグワーツ特急のホーム入り口の9と3/4番線があります。ここでは壁に突っ込むシーンを再現した記念撮影が出来ました。撮影前に4つの寮のマフラーが選べ、ハッフルパフのマフラーで撮影しました。実際に9と3/4を見てみると映画であるような壁がなく、ただのホームでした。調べると、実際の撮影は4番線と5番線の間にある壁で撮影したらしく、遠くからですが見ることができました。ラドンホールマーケットはダイアゴン横丁のモデルになった所で、同じところに漏れ鍋の入り口があります。漏れ鍋はダイアゴン横丁の入り口で、現在は眼鏡屋になっていました。


その後、近くのロンドン橋をみて、ロンドンアイに行きました。丁度、ロンドンアイに着いたタイミングが夕方頃で、観覧車の中から夕暮れに染まるロンドンと、ライトアップされるビッグベンをみる事ができました。偶然にもいいタイミングでロンドンアイに乗る事ができました。

2025年3月18日(火)
ノルウェー

ヨルギンさんの家からベルゲンへ移動し、ブリッゲンとフロイエン山を軽く観光しました。
一昨日の夜、ヨルギンさんに教えていただいた、ベルゲンのおすすめスポットです。
ブリッゲンは綺麗な建物が海に向かって建っていました。
中にはお土産屋やレストランが入っており、そのレストランでお昼を取りました。魚介のスープでスパイスが効いて美味しかったです。

フロイエン山はふもとからロープウェイが伸びていました。上からだとベルゲンを一望できて、色とりどり建物がならんで綺麗でした。

海外遊学も残すところ、あと1週間を切りました。明日はヨーロッパ最後の国イギリスです。楽しんでいきたいと思います。

2025年3月17日(月)
ノルウェー

今日はヨルギンさんと共にボムローを一周し、養殖会社や生簀、養殖設備のサプライヤー企業を訪問しました。


日本とノルウェーの海面養殖を比較して特に印象的だったのは、漁師1人あたりの漁獲量の大きな違いです。ノルウェーでは生簀の規模が圧倒的に大きく、自動化・省人化技術が積極的に導入されており、高効率な運営が実現されていました。

今回訪れた生簀は円周60mの大型のもので、それらが複数、中央の「フィバッジ」と呼ばれる無人管理いかだとホースで接続されていました。このフィバッジを拠点に、餌の供給や水温・酸素量の管理が行われています。さらに、フィバッジ内で発電を行い、その電力でセンサーやカメラを稼働させることで、極力陸上から遠隔操作で管理できる仕組みになっていました。また、カメラなどに付着する海藻類は定期的に高圧洗浄で除去し、監視機能が妨げられないよう工夫されていました。

一方、日本では政府の規制や権利関係の問題から大規模化が難しく、その結果として自動化設備の導入コストを回収しづらい環境にあります。このため、人手に頼らざるを得ず、結果として人件費の負担が増加するという構造的な課題を抱えていると感じました。

2025年3月16日(日)
ノルウェー

今日はオスロからベルゲンへ列車で移動し、その後フェリーに乗ってヨルギンさんと合流しました。
オスロからベルゲンへの道中ではスカンディナビア山脈を通過し、車窓には3月とは思えない雪景色が広がっていました。
移動時間が6時間と長かったので、初めて食堂車を利用し、温かいコーヒーとホットドッグを買いました。

ベルゲン到着後、フェリーでの移動中ずっと緊張していました。
というのも、ヨルギンさんとは数回メールのやり取りをしただけで、どんな方か分からなかったからです。自分の不自由な英語でちゃんと意思疎通できるかも不安でした。
しかし、実際に会ってみると気さくで話しやすい方でよかったです。

今晩からヨルギンさん宅に泊めていただいていますが、北欧らしいおしゃれな住宅で、絵がたくさん飾られていて素敵な雰囲気でした。
軽食をいただきながら、旅行の話やベルゲンで訪れるべきおすすめのスポットについて教えてもらいました。楽しく話せたとは思います。

しかし、自分の英語力の低さと語彙の少なさも実感しました。特に感想のレパートリーが少なくワンパターンになってしまうのが残念でした。もっと表現できるようになりたいと思います。

明日からいよいよ見学が始まります。何かしらの気づきや学びを持ち帰れるようにしたいです。

2025年3月15日(土)
デンマーク→ノルウェー

今日はコペンハーゲンからオスロまで移動してきました。北の方へ向かうにつれて気温も低くなり、車窓では残雪のこる風景がちらほら見受けられました。スマホの天気アプリによると、今いるオスロは最高気温が7℃、最低気温が-5℃。最初についたギリシャの気温が17℃くらいだったと記憶しているので、10℃から22℃ほどの寒暖差です。


オスロに16時くらいに到着し、チェックインしてから時間があったので、近くにあったムンク美術館を訪れました。ここでは有名な作品である「叫び」を見る事ができます。ただこの「叫び」という作品、5点もあるのをご存知でしょうか。自分は知りませんでした。5点のうち2点が国立美術館に収蔵され、3点がムンク美術館に収蔵されています。有名な方の「叫び」は国立美術館に展示されており、今回はじゃない方の「叫び」を鑑賞しました。

2025年3月14日(金)
ドイツ→デンマーク

今日は朝から晩まで列車での移動でした。途中、乗る便を間違えたり遅延に引っかかったりしましたが問題なく目的地に辿り着けました。ケルン中央駅では焼きたてのソーセージが売ってあり、大きくて香ばしく、ジューシーで美味しかったです。

移動時間が長いので昨日買っておいた1人用のボードゲームをプレイしたのですが、全部英語なのできついですね。ルールブックの6ページ目くらいでちょっと挫けました。明日は朝6時10分の便で出立するので、今日は早く休もうかと思います。

2025年3月13日(木)
ドイツ

昨日に引き続き、今日もケルン観光です。
チョコレート博物館とボードゲーム専門店に行きました。

チョコレート博物館は、中に入ると、科学館のような造りになっており、チョコレートの産地や作り方、歴史をざっと学べました。またここでは、出来立てのチョコレートが食べられたりウエハースチョコフォンデュを食べられたりと参加型のアクティビティが多く言葉が分からなくても楽しめました。

見学後に博物館内のカフェでチョコワッフルを食べました。見学の最後までチョコたっぷりでした。

その後、4711というオーデコロン専門店を覗いたり、ボードゲーム専門店に立ち寄ったりしました。

オーデコロンはケルンが発祥の地であり4711が起源とのことで遊びに行きましたが、少し高そうなシーブリーズの匂いくらいにしか感じませんでした。自分でも残念な感性だなと思います。
ボードゲーム専門店は見ていて楽しかったです。

ドイツはボードゲームの本場なのでボードゲーム専門店に寄りました。
カタンと呼ばれるゲームもドイツで生まれました。専門店は4フロアもあり、日本では売ってないゲームや未翻訳のものも多く売られていました。

明日からほぼ移動なので、それに備えて1人でも遊べるゲームを購入しました。

2025年3月12日(水)
フランス→ドイツ

今日はパリを離れてからケルンに移動してきました。ケルン中央駅を出て左手すぐに、古色蒼然とした大きな建物が見えます。ケルン大聖堂です。ケルン大聖堂は世界最大級のゴシック建築であり、世界遺産にも登録されています。大聖堂の内部も大きく、迫力がありました。ステンドグラスも洒落ていて、普通この手のステンドグラスは宗教画が描かれることが多いと思うのですが、モザイク画の様なステンドグラスがありました。今まで巡ったところでは見た事がないと思います。新鮮でした。

大聖堂以外にも宝物庫と塔があり、そちらにも行きました。宝物庫には司祭が祭事で用いる道具や顕示台等が展示され、殆どが金で出来ていました。尖塔にも登りましたが階段しかしか無く、少し疲れました。ただその分、見られたケルンの街並みは絶景でした。

次に近くにあるホーエンツォレルン橋に行きました。ここはケルン大聖堂の全体が撮れるフォトスポットとしても知られていますが、有名なのは大量の南京錠でしょう。恋人同士の名前を書いた南京錠をこの橋にかけると幸せが続くそうですが、由来は分かりませんでした。

夕飯は駅近くのブラウハウスでケルシュビールとメットをとりました。ケルシュビールは200 mLの小さいグラスに入っており空になるとすぐおかわりが来る、わんこ蕎麦スタイルでした。おかわりがいらない場合はコースターで蓋をします。ここもわんこ蕎麦と似ている気がします。メットは生の豚挽肉です。寄生虫などの問題もあるのでドイツ以外ではまず食べられないでしょう。味はネギトロに近い気がします。貴重な経験ができました。

2025年3月11日(火)
フランス

今日は1日パリを観光し、オルセー美術館とシェイクスピア&カンパニー書店を訪れ、凱旋門の屋上からでエッフェル塔のシャンパンフラッシュを見ました。
オルセー美術館は19世紀ごろの絵画や彫刻が展示されており、ゴッホの自画像やモネの日傘をさす女などのポスト派や印象派の作品が多く展示されています。美術の教科書で見たことのある作品を多く見ることが出来ました。またモネの光や影の着彩が好きなので実物をじっくり鑑賞してきました。


オルセー美術館を訪ねた後、セーヌ川沿いに移動してシェイクスピア&カンパニー書店に行きました。自分もChatGPTにパリの観光地を列挙させていた時に初めて知った場所です。調べるとヘミングウェイやフィッツジェラルドなどの有名な作家が通い、ジョイスがユリシーズを出版した本屋だそうです。また、この書店は自伝の1ページを提出すること、書店で2時間働くこと、1日1冊本を読むなどの条件を満たすと無料で2階に泊まることができます。これは貧しい作家に宿を貸していたことが現在にも引き継がれているそうです。粋ですね。ということでその書店に訪れました。見た目は洒落た感じで、書店なのに人が並んでいました。中に入ると天井まである本棚に所狭しと本が並んでいました。そして、当たり前のことですが、表紙やタイトルを見ても自分の好きそうな本が分かりませんでした。普段、日本の本屋では出版社や著者、タイトル、フォントなどでなんとなく面白そうか想像できます。しかし、ここは英文書専門の書店。今までの経験値が殆ど死んでしまい全く検討が付きません。とても新鮮な感覚です。書店をうろうろしながら3冊ほど本を見繕い、購入しました。購入するとシェイクスピア&カンパニー書店のハンコを本に押して貰えました。


その後、凱旋門の屋上に登りエッフェル塔のシャンパンフラッシュを見ました。エッフェル塔を遮るものがないのでとても良い景色でした。マドリードで会った日本人旅行者にお勧めされていたので見にこれてよかったです。

2025年3月10日(月)
フランス

モンサンミッシェルを観光してきました。ネットでは様々な観光サイトが「西洋の驚異」「海上のピラミッド」と褒めそやかしており、物凄く期待が高まっていましたが、実物はそれを超えてきました。実際に見れた感動による補正も入ってるとは思いますが非常に良かったです。

シャトルバスで桟橋の途中まで移動し、そこから徒歩で向かいました。シャトルバスを降りるとネットやテレビ等でよく目にする、あのモンサンミッシェルの姿がありました。天気予報では曇りでしたが、このタイミングで晴れ間が広がり、青空と神秘的な古城のコントラストがとても美しかったです。城内ではカモメの鳴き声が響き、雰囲気を一層引き立てていました。内部も荘厳で、長い時をかけて増改築された様々な建築様式が見られました。調べると8世紀から12世紀にかけて建築されていたみたいです。

午前の最初のシャトルバスで行ったので、人も少なくゆっくり見学できました。それにしても日本人観光客が多く、まるで日本の観光地のようでした。帰りのバスは8割がたが日本人でした。

昼食は名物のオムレツをいただきました。オムレツ1つが46ユーロ、日本円にして約7300円もしました。今まで食べたオムレツで最も高価で、今後も超えることはないでしょう。チーズを用いたオムレツを頼んだのですが、チーズのクセもそこまで強くはなく、とても美味しかったです。

2025年3月9日(日)
フランス

旅にトラブルは付き物だとは言いますが、妙に多い気がしています。
そういえば今年、本厄なんですよね。関係あるのでしょうか。

今日はポントルソンに移動しました。予約していたホテルに着くと、閉鎖されていました。
はじめは住所を入れ間違ったのかと思いましたが、看板にホテルの名前が書かれており間違いではありませんでした。
控えていたホテルの電話にかけても繋がらず、入り口に貼りでしてあった電話番号にかけても繋がりません。何のための事前予約だったのでしょうか。
知らない海外の街中で1人、根無し草になりました。
時間もそろそろ19時。日が暮れ始める頃合いです。
取り敢えず、代わりのホテルが必要になりました。
通りかかった地元の方に営業しているホテルに案内していただき、泊まるところを確保することが出来ました。1人で心細い中、親切にして下さりありがとうございました。

その後、ホテル近くのレストランでプレサレを食べました。プレサレとはモンサンミッシェル付近で育てられている羊の肉で、海藻を食べさせているそうです。
羊臭さをそこまで感じず、柔らかくて美味しかったです。

いよいよ明日、行きたいと思っていたモンサンミッシェル観光です。楽しみです。

2025年3月8日(土)
スペイン→フランス

今日はマドリードからバロセロナで乗り換えしてパリへの移動日でした。そして今日、バロセロナのサンツ駅では問題が多発していました。午前中はマドリードとバロセロナ間で事故が起こり全ての高速列車の運行が麻痺、午後はサンツ駅からジローナ方面、つまりパリへと向かう高速列車が3本ストップしました。この駅はスペインの主要なハブ駅の一つであり、自分が乗り換えする駅でもあります。
自分もこれに巻き込まれましたが、バロセロナとパリ間の遅延だけですみ、運良く致命傷は避けられました。ただ場合によっては計画が破壊されていたので、よりによって移動日に問題を起こさないで欲しかったです。

バルセロナからパリへ向かう列車での6時間、隣に座っていたデイビッドさんと仲良くなりました。彼はパリの空港からカンボジアへ向かう途中とのことでした。旅の予定や出身地などを話す中で、「mérou」という単語を教えてもらいました。これはフランス語で「ハタ」という魚の名前で、自分の名前「ミル」と発音が似ていると教えてもらいました。ここ最近、“Can I buy a ticket here?” のような定型文ばかり使っていたので、久しぶりに自然な会話ができたのが新鮮でした。拙い英語にも丁寧に対応してもらい、簡単な単語で話してくれたおかげで、なんとか会話が成り立ったかなと思います。

2025年3月7日(金)
スペイン

スペイン観光において、「スペインに1日しかいないなら迷わずトレドへ行け」という格言があります。出典は不明ですが。
トレドは1561年までスペインの首都だった所であり、その特徴として、イスラム教、キリスト教およびユダヤ教の3つの異なる宗教を信仰する人々が共存し、文化を醸造してきた点が挙げられます。今日ではこの特徴を現存する当時の街並みや建築様式から見て取ることが出来ます。それぞれの宗教様式の建物が残るだけでなく、それぞれの宗教様式が融合したムデハル様式の建物もあり、トレド旧市街地全体が世界遺産に登録されています。


ということで、スペインカトリック教会の総本山であるカテドラルやサント・トメ教会などを見ながらトレド旧市街地を観光しました。カテドラルは先に述べたムデハル様式を採用しており、キリスト教の建物なのにイスラム教の建築様式も取り入れた珍しい建物です。聖堂内は大きな教会らしく奢侈な装飾で埋め尽くされ、特に内陣とその裏のトランスパレンテが印象に残りました。しかし今回見たかった聖体顕示台は見られませんでした。パンフレットには展示されているとあったのですが、見つかりませんでした。


また、旧市街地観光も当時の街並みの中をブラブラするのも、それだけで楽しかったです。お土産屋の並ぶ通りを散策していると、剣や鎧、包丁を販売している店が多くありました。調べてみると中世の頃は刀剣の名産地として知られていた様です。ただ、日本のお土産屋の木刀みたいなノリで剣と鎧が置いているのは面食らいました。

2025年3月6日(木)
スペイン

今日は王宮とサン・ミゲル市場へ行き、フラメンコを鑑賞しました。どれも良く、特にフラメンコ鑑賞が印象に残っています。丁度鑑賞出来た席が舞台の隣りでした。おかげで、踊り手の足捌きや一挙手一投足を直近で鑑賞することが出来ました。非常に迫力がありました。靴音や手拍子の作るフラメンコのリズムが独特で面白かったです。また、舞台の演者だけでなく客席からの拍手や掛け声で段々舞台が盛り上がっていき、フラメンコのリズムを通じて、演者と客との一体感が出てきて非常に楽しかったです。

2025年3月5日(水)
スペイン

今日はプラド美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターと美術館を中心に巡りました。今日だけで相当数の絵画を鑑賞しました。

ゲルニカと我が子を喰らうサトゥルヌスをはじめとしたゴヤの黒い絵シリーズが特に印象深かったです。ゴヤの作品群は綺麗な宗教画や人物画が並ぶ中に急に正気の削れる絵画が出てきて、余計に印象に残りました。また、教科書で見たことのある作品がいくつかあり実物で見れて良かったです。

それにしても芸術鑑賞は難しいです。美術館に収蔵、展示されるのだから素晴らしい絵画なのでしょうが、どれも似たような絵画に見えて、途中からガイドブックにある絵画を探すオリエンテーリングをしている気になってしまいました。もったいない見方になった気がします。
実際に鑑賞している方の中にスケッチしている方が何人かいらして、しっかり味わっている様に感じました。せっかく著名な美術館に来ているのだから、凄さを体感したかったです。芸術鑑賞の素養はどうやって身につければ良いのでしょう。

2025年3月4日(火)
スペイン

午前中にサグラダファミリアを見学したのちに、マドリードへ移動しました。サグラダファミリアは凄かったです。ガウディ建築を貫くコンセプトである調和を感じ取れたと思います。昨日巡ったカラバサ等では全然分からなかったので鑑賞力が成長したかも知れません。

勘違いかも知れませんが。中に入ると威圧感を感じず、とても柔らかい雰囲気の空間でした。建物全体が曲面で構成されているからかでしょうか。今まで巡ってきた石造の聖堂は厳かさや硬い場所だったのでとても意外でした。

また日光が室内に入り全体的に明るく、ステンドグラスを透過した光が綺麗でした。

マドリードに着いてからは、サッカーを見ながらお酒を飲み、スペインらしく過ごしました。

2025年3月3日(月)
スペイン

今日はバロセロナ観光ということで、カサミラやガウディ公園のガウディ建築群やカタルーニャ音楽堂、サンジュセップ市場に行きました。元の計画ではミロ美術館やピカソ美術館に行く予定だったのですが、今日が定休日だったようで、明日の予定を前倒しにして建築を回りました。ガウディの最初のイメージは個性的な建物を造ってた人でした。しかし、この個性は単に奇抜さだけを求めたのではなく、設計合理性があってあの形になったと知りました。

サンジュセップ市場へ向かう途中、街の本屋に通りかかったのですが、入り口に本の渦のモニュメントが設えてありました。昔の芸術作品が残っているだけでなく、今なお芸術が生活に根ざしていることが印象に残りました。

2025年3月2日(日)
フランス→スペイン

今日はスイスを出てフランスを通りスペインへ移動しました。

フランスのリオン駅で鉄道を乗り換えるのですが、その売店でワンピースとコラボしている”Komasa”というお菓子を見つけました。バーベキュー味とケチャップ味の2種類あり、バーベキュー味の方を試してみると、ラー油感のあるぽたぽた焼きみたいな味でした。少なくとも日本のバーベキュー味ではなかったです。

その後つつがなくスペインに到着し、ホテル近くのバルでパエリアを食べました。米がアルデンテで面食らいましたが、美味しかったです。

2025年3月1日(土)
イタリア→スイス

どうやら自分がフェリーに乗ろうとすると、何かしらの珍事が起こるらしいのです。今回は自分が引き起こした側ですが。

パレルモからナポリへフェリー移動するために港に来ていました。パレルモの港は広く、チケット売り場とフェリー乗り場が離れていて分かりづらい。グーグルマップも頼りにならず、1時間近く迷った末にようやくチケットを購入できました。しかし、次にどこへ向かえばいいのか分かりません。

搭乗時間が近づくと、チケット売り場の前に人が集まり始めました。フェリー行きのバスでも出るのかと思い近くの人に尋ねると、バスはないが自分と同じフェリーに乗るとのことで、着いていくことにしました。

道中、話をしてみると、彼らは16歳の現地学生で修学旅行へ向かうところでした。道理で出発前の集団は年齢層がバラバラだったのに、移動を始めたのが若者ばかりだった訳です。よく見ると、大人が先頭と最後尾に数人ついています。おそらく引率の先生でしょう。

つまり今の状況を整理すると、キャリーケースを引いた現地高校生の修学旅行団体に、バックパックを背負った怪しいアジア人男性がしれっと紛れ込んでいる構図になるわけです。

幸い、引率の先生に怪しまれることもなく、無事フェリーに搭乗できました。

その後はナポリに到着し、鉄道が出るまでヌオーヴォ城とナポリ王宮を観光し、無事ジュネーブに着くことが出来ました。

2025年2月28日(金)
イタリア

今回はシラクサの市場でアーモンドとピスタチオを買い、パレルモの市場でパニーノ・コン・ミルツァを買い食いしました。アーモンドとピスタチオはシチリアの名産品でシラクサの市場で何店舗も売られていました。まだ食べていないのですが今晩のフェリーの中で食べようと思います。

ミルツァは牛の脾臓と肺をラードで煮込んだものをパンに挟んで食べるものです。ジャンクな感じですごく好みでした。

2025年2月27日(木)
イタリア

パレルモからシラクサへ移動して、半日観光しました。
シラクサはアルキメデスの故郷であり、走れメロスの舞台でもあります。

オルテージャ島を中心に散策し、アルキメデ広場やアポロ神殿、ドゥオモ広場に行きました。とても綺麗なところで歩き回るだけでも楽しい街でした。街歩きをしていると、魚の意匠があちこちにあることに気が付きました。

また観光客の通るメインストリートではない所にもキリスト教関連の彫刻があり、手入れされていたことが印象に残りました。夕方になると、西陽に石灰が照り映え幻想的な光景でした。

夕飯にはホテルの方にお勧めしていただいたレストランに行きました。シチリア料理を頂いたのですが、食べたことのない料理でした。カジキの身でクスクスを巻いて、柑橘系のソースがかかっていました。とても美味しかったです。

2025年2月26日(水)
イタリア

ナポリからパレルモへ向かうフェリーで珍事に見舞われました。就寝した22:30、急に扉の鍵が開き電気が付けられました。入ってきた方に話を聞くと、この部屋の予約をしていたらしく、ダブルブッキングしているらしい事が分かりました。幸い乗務員の方に新しい部屋を用意してもらったらしく、イタリアンカタストロフだとか述べながら去って行きました。珍しいと感じたのは、昨日も同じ体験をしていたからです。昨日の場合は、すぐに扉が閉められ、話すこともなかったのですが、2回乗ったフェリーで2回とも叩き起こされて珍しく感じました。

パレルモに着いたのち観光に向かいました。

パレルモ大聖堂やノルマンニ宮殿を巡りました。両方ともに荘厳でよかったです。

しかし午後から雨に振り込められてしまったので、ホテルでのんびりしてました。

2025年2月25日(火)
バーリ ~ ナポリ

今日も移動日で、バーリからナポリへパス移動、ナポリからパレルモまでフェリー移動です。
なので例によってこの日報もフェリー乗船前のフェリーターミナルで書いています。

さて、昨日バーリ行きのフェリーへ乗り込んだ訳ですが、自分は4人部屋の一室に泊まりました。ホテルのようにカードキーで鍵を閉められる部屋でした。個室ではないので、相部屋になった誰か来るのかと思いきや誰も来ません。

部屋に荷物を下ろした後、甲板へ出てアドリア海とポルコロッソ(紅の豚の主人公)の飛んでた空を眺めて、感慨に耽っていました。体の冷える頃に部屋に戻りました。

他にすることも無いので日本では見ないサイズのオレオを買ったり、本を読んだりして9:00に就寝。

翌朝、甲板で景色を眺めながら、昨日調子に乗って買ったオレオをモソモソと消費。
結構食べましたが、この日報を書いてる時点でまだ半分近く残っています。バーリに到着してすぐにバスに乗り、フェリー乗り場へ。

バスの車窓からオリーブ畑が見え、地中海らしい景色だと感じました。

2025年2月24日(月)
アテネ

今日はアテネからパトラスに電車とバスで移動し、パトラスからアドリア海を横断してイタリアのバーリへフェリーで移動します。

アドリア海はジブリの「紅の豚」の舞台です。自分は小さい頃から紅の豚が好きで、わざわざフェリーでの移動を選択した理由として、アドリア海を渡って見たいと思っていたからです。ただ海上だとWi-Fiが届かないことを失念していました。なので出発前のフェリーターミナルで文章を書いており、日本時間の8時に予約送信する設定にしています。今は日本時間だと23時あたりでしょうか。まだフェリー内は見れていませんが、とても楽しみです。

2025年2月23日(日)
アテネ

今日はデルフォイのアポロン神殿に行ってきました。

フォイはギリシャ神話の中心になる都市であり、ノアの方舟の原型となった大恐慌でもデルフォイのパルッソナス山に登り難を逃れたという伝説も残っています。
デルフォイにはアポロン神殿の他に博物館もされていました。 当初、博物館は新アクロポリス博物館のようにギリシャ、神話に基づいた整備があるくらいかなとたかを括っていましたが、意外なものも展示されていました。 スフィンクスです。は位置的にヨーロッパ、トルコ、エジプトの影響があったようにスフィンクスも遺跡から発掘されたそうです。

またデルフォイで見かけた意外なものとして、何匹かの犬?が参加していました。 リードも首輪もなく、近くに人もいない大型犬が街中を闊歩しており、通り過ぎる街の人は無関心で恐怖していました。 犬も人や車を恐れないので、妙に街に慣れてます。

2025年2月22日(土)
アテネ

どうなるか不明だったバックパックが無事戻ってきました。 充電器を貸してくださったり、荷物会社に連絡を取ってくださったホテルスタッフの皆様、日本からアドバイスや調べ物をしていただいた会社の方や両親に感謝いたしました。 おかげで、たった2日で荷物が戻り、見た目も不自由なく過ごせました。

今日はアクロポリスの遺跡群であるパルテノン神殿、古代アゴラ、ゼウス神殿、新アクロポリス美術館を訪れました。

特にパルテノン神殿は行きたい遺跡であったため非常に楽しみにしており、実際に行ってみて大変でした。個人的にはパルテノン神殿の隣にあるエレクティオンとオリーブを見られたのも僥倖でした。

遺跡群を観光する中で街を散策していると、街の終所に名もなき遺跡が点在し、イチゴなどの果物が路上で売られているのが印象に残りました。

お店に入りラザニアみたいなギリシャ料理を食べました。 ボリュームがあって美味しく、特に茄子が絶品でした。 昨日のピタで出されたトマトといい、ギリシャは野菜の美味しいところなのかもしれない。

2025年2月21日(金)
アテネ

アテネ空港に到着し、カウンターで預けた60Lのバックパックがベルトコンベアーに流れてくるのを、待っていました。時刻も22時を過ぎており、バスの時間もあるので早く荷物を取りたいなと待っていました。1時間かけてって荷物の搬送が終わり、自分の荷物は流れてきませんでした。 電光掲示板を確認すると、確かにドバイからの荷物が流れてくるレーンに間違いありません。
係員に事情を伝えると、「クレームタグ」の提案を求められましたが、不要だと思い捨てられました。 Google翻訳を使いながら、荷物の特徴や連絡先を伝え、会社や両親にも連絡。

午後から観光をスタートすることにし、中心部からいくつか離れている。アテネ国立考古学博物館を訪ねました。
バスで博物館へ向かいましたが、ギリシャのバスは紙のチケットをメトロで購入する必要があります。 チケットの種類も独特で、乗車回数や日数だけでなく、乗車時間で忘れられていました。 アテネ限定のチケットは90分と24時間の2種類があったため、24時間の方を購入しました。 バスに乗り、11分ほどバスチケットを消費して国立考古学博物館に到着しました。

館内では、目的だった「アガメムノンのマスク」を見たり、彫刻を鑑賞したりして過ごしました。ただ、「アンティキティラ島の機械」が訪れなかったのが残念でした。

夕食はタベルナ(ギリシャの伝統的な食堂)で、羊肉を使ったピタをいただきました。 ピタはギリシャ料理の種類で、ケバブに似た料理です。 パンの上にたっぷりの羊肉、トマト、ヨーグルトソースがいて、味も抜群でした。

2025年2月20日(木)
ドバイ

遊学1日目は成田空港から経由し、アテネ空港に到着しました。

ドバイ空港到着後、隣接しているドバイメトロに乗りブルジュハリファ/ドバイモール駅へ。 ブルジュハリファとドバイモールは一部が複合施設になっており、ドバイモール内のブルジュハリファの展望台入口へ向かいました。

エレベーターを降りると、超高層ビルが薄い霧を突き抜け、底から微かにオレンジ色が楽しめました。 左手にはアラビア海、右手には砂漠。 最も眺めらしい景色だ。

しばらくすると霧が晴れ、ビルの足元に広がる低層の建物が姿を現しました。 そのオレンジ色は砂漠に馴染んでいました。

展望台で満足した自分は開いてる店を探しながら迷子になりつつ、途中で「ザ・コーヒー」に立って休憩していました。迷子になりながら意外と日本関係の店が多いことに気づきました。ドコートには「うま味」、レストランでは「火(かんぱい)」や「かたな」など日本語の屋号をよく目にしました。休憩しましたこの喫茶店もカタカナで「ザ・コーヒー」。日本の要素はありませんが、自分みたいにふらっと観光に来た日本人が釣られていくのかなと感じました。

そこから水族館へ行ったり、有名なデーツを買ったりトランジットの空き時間を十分に遊び尽くし、目的地であるアテネ空港へむかいました。
しかし、アテネ空港に到着した自分を待っていたのはロストバゲージでした。

Back To Top